人間が手に入れたもの、失ったもの

ぼくたち人間は、進化の過程で言葉を得たことで、距離を保ってつながれるようになるとともに、身体を使わず、時間と空間を超え、いろいろな人とつながることができるようになりました。

言葉はポータブルなものです。重さがないので、どこにでも持ち運びができる。言葉を使うことで、過去に起こったことを、まるで目の前で起こっているかのように解説することができるし、目の前で起きていることを、別の場所、もしくは今ではない時間に再現することもできます。自分が行ったことのない場所で起こったことを、あたかも行ったように再現して伝えることもできます。言葉を得た人間はフィクションを生み出しました。

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一方、言葉をもたない動物は、その場で瞬時に直観で対峙し、解決します。それ以外のオプションをもちません。人間も本来、同じ能力をもっていたはずですが、言葉の力が大きくなるにつれ、その力が減退しました。

たとえば、その場はやり過ごして、あとで考えるといった状況では、言葉が力をもちます。あのときあの人はこう言ったけど、本当はどうだったのだろう、こんな情報を流しているけど、裏では何を考えているのか、ひょっとしたらとんでもないことを目論んでいるのではないか、などと言葉にこだわってしまう。

これは、言葉による幻想、フィクションに侵されている証拠です。フィクションが前面に出てくれば、動物のように生の感情のぶつかり合いを通じて瞬時に何らかの解決策を見出す、という人間本来の能力が落ちていきます。