言葉があるから距離を保ってつながれる

動物たちは、さまざまな方法で心を一つにします。チンパンジーは、「フーホーフーホー」という遠距離コミュニケーションに使うパントフートという声を出したり、抱き合ったりして興奮を分かち合います。ゴリラは、近くで同じものを食べていて楽しい気分になるとハミングで同調し合います。ゴリラはお腹が大きいので、休んでいるときにはお腹をくっつけ合ってじっとしていることも多いのですが、これも心を一つにする方法です。

そのとき、目が合ってもお互いに平気です。覗き込み行動もそうです。でも、見つめ合っているのはせいぜい数十秒で、1分に及ぶことはありません。この間に相手の心に入り込んで、自分と相手の心を合わせ、誘ったりケンカを仲裁したり、何かを思いとどまらせたりする。相手をコントロールして、勝手な動きをさせない方法なのでしょう。

ゴリラの覗き込み行動(著者撮影)

このように、ゴリラやチンパンジーは一体化して関係性をつくります。人間も、親子の間では、赤ちゃんが泣いているとき、お母さんはなんとかしようと、赤ちゃんの顔を見ながら身体を揺すったりしますね。赤ちゃんも、お母さんの顔をじっと見つめ、包み込まれている安心感で泣き止む。人間にとっては、顔と顔を合わせるこの行為が一体化です。これによって不安や喜びや楽しさが伝わります。「自分は一人ではない」「つながっている」という感覚を得られるのがその効果です。

ただ、人間の場合、親子以外でこうした一体化ができるのは、通常、恋人同士など特別な関係に限られます。人間は、ゴリラやチンパンジーのように一体化することはせず、少し離れて互いの自立性を保つ道を選びました。こうして、安易に一体化するのを避けた過程で生まれたのが、一定の距離を保って向き合うという状態です。

言葉を交わすだけなら対面する必要はないのに人は対面します。でも、対面したまま黙ってじっと見つめ合っていたら気味が悪い。この状態を持続するために生まれたのが言葉なのではないでしょうか。最初は、意味のある音声ではなかったかもしれません。しかし、やがて意味のあることを共有し合うコミュニケーションの道具になりました。人間は、言葉を話し始めたことで、距離を保ってつながれるようになったともいえるわけです。

動物との出会いでは、受け入れられるか拒否されるかのどちらかです。人間が距離を置いて話ができるのは、言葉がどっちつかずの状況を担保できるからです。情報を共有しているという安心感があるから、拒否もしないし受け入れもしない状況が保てる。その中途の状況を保ちながら、人間は言葉を駆使し、いろいろな人と付き合い、「好き」とか「嫌い」とか「どちらでもないが貴重」といったさまざまな社会的な関係をつくることができるのです。