先が見えない時代、人間にとってもっとも大切なことは何か。自然の脅威、テクノロジーの進化をどう受け入れ、どう豊かに生きるか。山極寿一さんの新著『スマホを捨てたい子どもたち』(ポプラ新書)から一部抜粋でお届けします。

京都大学総長の山極さんは、長きにわたりアフリカで野生のゴリラの研究を続けてきました。ゴリラを通して見えてきた「人間の姿」とは何だったのでしょう――。

ゴリラの社会から人間社会へ

サルやゴリラの世界で長く生活して、人間の世界に戻ってくると、人間がなんだか不思議な生き物に見えてきました。二足で歩く姿も不安定だし、泰然自若としたゴリラに比べて、落ち着きがありません。人間同士の関わり方も不自然に感じます。

ルワンダの森で2年ほど調査をした際も、毎日ゴリラとばかり会って、ほとんど人間と付き合わなかったので、日本に帰ってきたときに大いに戸惑いました。成田空港から乗ったのが満員電車。人間同士が身体をくっつけ合っているのに誰も挨拶せず、みんな無視し合っている。ぼくの身体は「なんかやばいぞ、これは」と反応していました。

なにせ、ゴリラの世界では、挨拶もなしに身体をくっつけ合っているなど、信じられないことです。身体を寄せ合ってきたときには、もう仲間として気持ちが通じ合っている状態ですから、そばにいて安心感があります。ところが、人間社会では電車でも駅のホームでも、みんな近くにいるのにまったく安心感が得られない。居心地が悪くてたまりません。

ゴリラの世界から戻ると、それまで当たり前だと思っていた人間の暮らしが、当たり前のことではなく見えてきます、その一つが言葉です。ゴリラの世界に長らくいて自分が言葉をしゃべらなくなっていることに気づいたとき、言葉というのは、もともと意味のあるものではなく、ひょっとしたら「対面」を長引かせる手段だったのかもしれないと思いました。