「悪者」前提として扱われ続けたら…

そのうち、娘の学校に付き添うのすら、娘に申し訳ないような気分になった。学校では、娘がいじめに遭わないか心配でたまらなかったが、幸い娘の周りは母親が日本人であることを知っている人ばかりなので、何事も起こらなかった。ちなみにこの頃フランスでは、「アジア人とすれ違ってしまったためコロナに感染したかもしれない。病院に行った方がいいか」という問い合わせが救急電話窓口に何件も寄せられていると報じられた。

当時私はアジア人というだけで罪を犯しているかのような気分に追い込まれ、次第に自分は本当にウィルスなのだろうかとすら思えてきてしまった。「人種差別=いじめ」とは、正常な判断を時に人から奪い、自分が悪者であるかのような錯覚をもたらしてしまうものなのだと、この歳になって初めて学んだ。

その時初めて、黒人と呼ばれる人々について思いをめぐらせたことがあった。何かあれば悪者扱いされ、「黒人だから」と半ば嘲笑されるような対象としてこの社会に位置付けられている彼らの辛さは筆舌に尽くしがたく、何よりも屈辱的である。私のようにウィルスによる一時的な差別ではなく、それが一生続くのだ

さらに警察という国家権力すら暴力を振るってくる敵となり、誰も守ってすらくれないのであれば、彼らにとってこの世界は絶望的としか言いようがない。プロサッカー選手のエンドンガラ氏(コンゴ出身)は子ども用の洋服の買い物をしていただけで、店員に万引きを疑われ警察を呼ばれた最近の経験を語っている。当時店内には黒人が彼一人で、通りすがりの人が「彼は知られたサッカー選手だ」と言ったことで解放されたという。もし名もない一般人だったら、恐ろしいことになっただろうと彼は語る。

中には、「黒人だから」というフィルター越しに人種差別を受け続け、次第に自分は本当に悪者なのだと思い込み、犯罪者になってしまう人もいるかもしれない。私が実際、「自分はウィルスなのかもしれない」と一瞬でも思ってしまったように。

「お前は悪者なのだ」という扱いをずっと受け続けていたら……Photo by iStock

このような経験をしてもなお、私が異国の地で踏ん張っていられるのは、幸い日本語教師という職業柄、その他一部のフランス人からの人種差別という「悪意」よりも、日本が好きでひたむきに勉強をする生徒たちの「良心」に触れる機会の方がはるかに多いからだ。

人種差別は時にイノセントな被害者の良心を阻み、新たな憎悪や犯罪を生み出してしまうことも忘れてはならない。それゆえ、仏警察による一部マイノリティ人種への暴力や差別的発言は、今のフランス社会の闇をますます深め、悪循環を作っている。

人種が違えば根付いた文化や習慣に違いがあるのは当然だ。確かにアフリカ系フランス人には異なる文化を感じさせられることが多い。それでも人種が混在せざるを得ない社会は、目に見えない信頼で成り立たなければならず、先に信頼を試みる側は勇気がいるであろう。警察に拘束され命を失う黒人について、ほとんどが逃亡や抵抗の結果押さえつけたというエピソードが見受けられるが、もしも警察が過剰な暴力をふるわないことが前提とされていたなら、彼らは恐怖を感じることなどなく、抵抗などせずに済むのではないだろうか

そんな基本的な信頼の法則を忘れ、これまで一部の警察官は傲慢な暴力によって何度もマイノリティ人種を邪険に扱ってきた。もちろん、構わず人を傷つける犯罪者が恐いから警察官も「その他大勢の1人」に対して暴力的にならざるをえず、信頼を裏切ったのは犯罪者だと言う理屈もあるだろう。

ただ、無実にも関わらず拘束後に亡くなった黒人の方の中には、幼い頃、みんなと同じようにパトカーのおもちゃが大好きで、警察官に憧れていた人もいたかもしれない。この記事を書いていると自ずとそんな光景が思い浮かび、ただただ幾人もの黒人の犠牲者の亡き面影に、悲しみだけがこみ上げてくる。

子どもも、大人も、どんな人種も。差別の歴史を知る必要がある。その理不尽さを知ってこそ、差別そのものを排除する強い決意が生まれるはずだ Photo by Getty Images

6月5日 下野真緒