地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
1773年のこの日、イギリスのサマセットにあるミルバートンで物理学者のトマス・ヤング(Thomas Young、1773-1829) が生をうけました。
彼は幼い頃から理系分野にとどまらない非凡な才能を見せており、10代にはラテン語やギリシア語、ヘブライ語など複数の言語をおさめていました。
また、この頃にはニュートンの『プリンシピア』や『光学』などの難解な書物を読みこなしていました。
物理学者として知られるヤングですが、最初はロンドン大学で医学をおさめ、医者としてロンドンで開業します。
その後、1801年からは王立研究所の教授として目の解剖学的・生理学的な研究から光学研究、ひいては物理学へと乗り出していきます。
物理学者としての彼の主な功績としてはクリスティアン・ホイヘンス(Christiaan Huygens、1629-1695)の唱えた光の波動説を復活させたことにあります。
17世紀の西洋では光の正体をめぐって、ニュートンが唱えた「光は微粒子の流れである」とする「粒子説」とホイヘンスが唱えた「光は波動である」という「波動説」が論争となっていました。
そんな論争から200年後の19世紀、ヤングは「光は波動である」という観点から光の干渉・回折現象を説明したほか、色の違いは光の波長の違いであるということを明らかにしました。
その後、アインシュタインや量子物理学者たちによって「光は粒子であり波動である」ということが明らかになっていますが、彼はそこに至る大きな功績を残したのです。
そのほかにも、ヤングは「エネルギー」という言葉を初めて使用した人物であるほか、現代でも多くの人を悩ませる乱視を発見しています。
また、彼は晩年になると古代エジプト学に興味を持ち、エジプトからナポレオンが持ち帰ったロゼッタ・ストーンの解読にも協力しています。
驚くくらいに多才な人ですね。