ネット接続を「生存権」に
新型コロナウイルス禍で「外出自粛」を強いられるようになって以降、多くの人はインターネット回線に依存した生活を送ってきているはずだ。仕事にも買い物にも、エンターテインメントにも教育にも、十分な速度が出るインターネット回線が必要不可欠だ。
これまで以上に、「ネット回線は生活に必須のインフラである」ことを痛感したのではないだろうか。

日本国憲法第二十五条には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」として生存権が定められており、続く第二十六条では「教育を受ける権利」も定められている。
過去のある時期までは、インターネットを使うのは一部の限られた人たちだけだったかもしれない。しかし今は、あらゆる人が使う不可欠の存在になっている。
収入などの社会条件で通信環境や接続の可否に格差が生まれるのは、決して望ましいことではない。「仕事をするうえでも教育を受けるうえでも、公平な水準のネット回線が提供されること」は、電話やテレビの利用が生存権に含まれるのと同様、今や生存権に含めることを検討すべきではないか。
絶好の機会
もちろん課題はある。
どのくらいの回線が必要なのか。その費用を誰がどう負担し、利用してもらう制度をつくるのか──。
回線種別や速度などは時代によって移り変わるだろうが、なんらかの水準を示す指針が必要だろう。
じつは海外でも、「ネット回線を生存権に含むべきでは」という議論がかねて存在する。
ニューヨーク市は2015年、Wi-Fiを用いて使われていない公衆電話を無料でインターネット接続できるスポットに変える「LinkNYC」というしくみを導入した。旅行者などの利用も想定しているが、目的の1つとして、ネットインフラを広く、多くの人に提供することで社会のセーフティーネットとすることがあった。

5G時代になれば、こうした設備の用意も、よりハードルが下がるだろう。 すぐに導入できるものではない。日本の場合はおそらく、文科省が中心になり、教育の部分をカバーするのが喫緊の課題だし、やりやすい部分でもあると思う。
しかし、新型コロナウイルスの影響で「変化が加速された」今こそ、どういう施策を使えば「公平にあらゆる人にネット回線を提供する」ことが実現できるか、真剣に議論すべき時期ではないか──、筆者はそう考えている。
それは、時代に合わせて生存権をアップデートすることにほかならない。