「とりあえずマスク」ですっかり安心している日本人への違和感

ただの「同調圧力の象徴」になっていないか
青山 潤三 プロフィール

「別の可能性」を考える

SARSなども含め、「新型ウイルス」には「コウモリ起原(媒介)説」が根強くあるようです。筆者も、その可能性は低くないと思います。中国の田舎では、野生のコウモリはごく身近な存在で、その料理もポピュラーです。しかし、だからと言って一帯のコウモリを根こそぎ駆除しても、あまり意味はないでしょう。また予想もつかないような別のところから、新型ウイルスは姿を現してきます。

中国で見かけたコウモリ料理(筆者撮影)

多数者の支持や熱狂、あるいは同調によって動く文明の力で、人間にとって有益なものだけを発展させ、そうでないものを排除していく。科学、資本主義経済、民主主義社会……それらを絶対的な善と定めて「別の可能性」を排除する。今回、国際社会の対応を眺めていて、そうした傲慢さを筆者は感じるのです。それでは、いつか全く予期しないクライシスが襲ったときに、人類は手詰まりになってしまうのではないでしょうか?

ことに日本人は、良くも悪くも、清濁併せ飲むことが苦手な人々です。善玉と悪玉がはっきりわからないと気が済まない。一方の意見を全肯定し、他方を全否定する。こうと決めたら、ひとつの解に同調することを皆に要求し、「この道しかない」と突き進んでゆく。

その容易かつ目に見える象徴が「マスク着用」ではないかと思うのです。

 

とまあ、このようなことを書いても、じゃあマスクを外せというのか、と叱られることでしょう。筆者も外出の時にマスクをつけると、言い知れない安心感を覚えてしまうので、決して人のことは批判できません。

しかしひと時とはいえ、新型コロナウイルスは私たちに「プレゼント」もしてくれました。電車の中に、こんなに外の風が入るようになったのはいつ以来でしょうか。人混みに流されるようにして生きてきた今までの暮らしを、あれは何だったんだろう、という気持ちで思い返した人も少なくないに違いありません。