「とりあえずマスク」ですっかり安心している日本人への違和感

ただの「同調圧力の象徴」になっていないか
青山 潤三 プロフィール

マスクと「同調圧力」

こう書くと、「お前は誰の味方なのか」「正義の民衆のデモに異を唱えるとは何事だ」はたまた「中国政府の手先か」などと言う人が必ず出てきます。しかし筆者は誰の味方でもありませんし、ましてや中国政府とつながりなどありません。ただ、デモと並行して起きた「市民の暴力」を現地で目の当たりにして、それに強い怒りと懸念を感じただけです。

前置きが長くなりました。今回のコロナ禍で、日本人はこぞってマスクを買い求め、品不足による混乱が社会問題となりました。その様子を見て、筆者は香港デモで利用されていた、「小道具としてのマスク」を思い浮かべたのです。

香港デモは、あえて大雑把に言えば、「民主主義=正義」「共産主義(中国共産党)=悪」という意識のもとに巻き起こりました。その是非は、政治音痴の筆者には分かりません(政治がわからないくせに政治を語るな、という人もいるでしょうが、私はそのような意見は容れません)。でもひとつだけ確かなのは、多くの人が動員され同調を求められる場で、「マスク」がその象徴、あるいは参加証のようなものになっているということです。

つまり、アジアの民主主義にとって、「マスク」は実に都合のいい「同調圧力」形成の象徴なのではないでしょうか。

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日本人のマスク好きは、これまでも海外ではお笑いの種になり、悪くすれば軽蔑の対象とされてきたようです。

筆者も国外で過ごす機会が多いこともあって、コロナ以前からの日本人のマスク着用習慣が、不思議でなりませんでした。冬になるとこぞってマスクをつけて出勤する人々の集団を、異様な光景だと思っていました。

結果論ではありますが、日本の新型コロナウイルス感染者数、また犠牲者数は、欧米各国と比べてかなり低い水準に抑えられています。その原因があまりに不可解なので、「日本人は普段からマスクの着用習慣があり、今回はそれを徹底したことによってコロナに打ち勝った」という理解が、欧米では広がりつつあるようです。

しかし、そこにこそ危惧を覚えます。本当にその認識でいいのでしょうか? 今後、何らかの不測の事態がやってきたとき、再び「マスク着用」で切り抜けることができるのでしょうか?