香港「国家安全法」で、民主主義vs反民主主義の戦争がいよいよ始まる

日本は日和見でいいのか!
大原 浩 プロフィール

香港は英国の領土?

共産主義中国は、「香港は自国の領土だから何をしてかまわないのだ」と主張する。「反民主主義」国家が自分勝手に振る舞うことはそもそも民主主義国家には許しがたいことだが、香港の領有に関しても中国の主張は誤っていると言えるだろう。

1984年に英中両国が北京で連合声明などの草案に署名した。これが1997年の香港「再譲渡・返還」へとつながる。

1984年当時の中国側の署名者は趙紫陽氏であったが、同席し1989年の天安門事件の逆風を乗り越えて「再譲渡・返還」へ持ち込んだのはトウ小平氏である。改革・解放で「経済の自由化」を成功させつつあったトウ小平氏の存在が、英国を含む西側の信頼を得るのに大きく役に立った。

現在の習近平氏では、交渉のテーブルにつくことさえできなかったであろう。毛沢東によって滅茶苦茶にされた挙句、崩壊の瀬戸際に立たされた共産主義中国を救ったトウ小平氏の手腕については、2019年1月9日の記事「客家・トウ小平の遺産を失った中国共産党の『哀しき運命』を読む」を参照いただきたいが、まさに「哀しき運命」が共産主義中国に降りかかろうとしている。

それに対して、英国側の代表がマーガレット・サッチャーであったことを意外に感じる読者もいるかもしれない。

サッチャー氏は「鉄の女」と評されるほどの強い意志を持つ強硬論者であった。例えば、英国から見て地球の裏側であるフォークランド諸島が1982年に侵攻された時には、世間の予想を裏切り、英国軍を派遣して守り抜いている。ちなみに、フォークランド諸島は、香港に比べたら経済的・軍事的価値などほとんど無いと言ってよい。

1997年当時のメディアは、「99年の租借期限」が到来したから返還したと報道していた。しかし、実は99年間租借していたのは「展拓香港界址専条」によって定められた新界地域だけなのである。

主要部分である香港島は、第1次アヘン戦争の講和条約である南京条約(1842年)によって、清朝からイギリスに割譲された英国の永久領土だ。また、その後、アロー号戦争(第2次アヘン戦争、1860年)の講和条約である北京条約によって、九龍半島の南端も英国に割譲された。

香港の主要部分である香港島は英国の領土であり、九龍半島の南端も含めて「再譲渡」する必要などなく、当然、英国内で大きな議論が巻き起こった。

 

そのような事情もあって、中国共産党政府は社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないこと(1国2制度)を約束したのだ。つまり、英国側から見れば、50年間にわたって中国側が約束を破らない限り……という「解除条件付き契約」であったといえる。

編集部からのお知らせ!

関連記事