父の急逝後に突然認知症を発症した母の登志子、そしてしっかり者と思っていたのに、実は認知症になりつつあり、母の実家をゴミ屋敷にしていた伯母の恵子。伯母は独身で、編集者の上松容子さんは従妹と協力してケアをすることになった。上松さんは2人の介護を考えなければならなくなった。

当初同居を反対していた義母も最後とは折れて母とも同居になり、上松さん、義母と母、そして夫と娘との生活が始まる。使用済みトイレットペーパーを流さずにトイレの床に積み上げてしまったり、他人の歯ブラシを使ってしまったり、同居して見守る介護の大変さを思い知ることとなった。そして編集者だった母が大好きな本を読めなくなっている様子に胸が締め付けられる。

かたや、転んだ後に入院していた伯母の退院後の居場所も探さなければならない。社交的だった伯母は見舞うと元気そうで母よりも大丈夫だと思っていたのだが、実はそこに「認知症」の大きな落とし穴があった――。名前だけ変えたドキュメント連載。

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長くなってきた老健での暮らし

腰椎圧迫骨折の治療で緊急入院し、ショートステイの施設に移った伯母。その後伯母は「介護老人保健施設」、通称「老健」と呼ばれる施設に移った。伯母は要介護1になったが、どういう加減かアルツハイマーの確定診断を受けるチャンスが巡ってこなかった。

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老健は、怪我などで体のどこかにトラブルを抱える老人の、リハビリを主たる目的とする福祉施設である。したがって、体の健康が回復されれば退所することになる。概ね3カ月の滞在が原則だ。

伯母には、居場所がない。いや、住居はまだあった。ただし、あのゴミ屋敷に戻したら最後、二度とそこから離れようとしなくなっただろう。私たちのほかに身寄りがない、という特殊な事情を理解してくれた施設は、次の居場所が見つかるまでという条件で、滞在期間を延長してくれた。

私が伯母に会いに行くのは、決まって午前中、お昼前だった。家事を済ませ、義母の様子をみて出かけるとそのくらいの時間になってしまう。昼間会うとき、伯母は「嬉しいわあ、来てくれてありがとう」と元気で楽しげな様子だった。受け答えもチャキチャキとはっきりして、昔の伯母に戻ったかのように見えた。

施設の近くには川が流れており、その周囲には田園風景が広がっていた。伯母には2階の二人部屋、窓側のスペースが割り当てられていた。カーテンを開けるだけで陽の光が差し込み、鮮やかな緑の風景が目に入る。

「お隣の畑で作業している人もいるし、ベランダの下が玄関だから、いろんな人が来るのが見えるの」

好奇心旺盛な伯母にぴったりの部屋だった。