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「抜け駆け」は許さない!危機的状況で強化される「コスト意識」とは

自粛警察はいかにして生まれるか

「ウイルスより人間の方がおそろしい」

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の渦中、そう感じざるを得ないケースが相次いでいる。多くの人がコロナに立ち向かおうと尽力しているなかで、もちろん悪い面にばかり目を向けてはいけないのだが、実際に欧米ではアジア系の人種というだけで差別的発言や暴力を受けるなど、社会的スティグマ※1が露呈した。

日本でも、訪問介護者が罵声を浴びせられる、医療関係者の子どもが保育預かりを拒否されるなどの、差別や偏見が問題視された。「コロナ自警団」の出現も記憶に新しい。だが、今度は彼らに対するバッシングが過熱していった。

感染予防のためのマスクも社会的な意味を持つようになった。予防姿勢を示す1つのシンボルとなったことで、逆に人混みでマスクをしないと厳しい視線を浴びるような状況が生じた(そういう私も、感覚過敏症の人にとってはマスクの着用がどうしても苦しいことを知るまでは意識の問題だろうと安易に思ってしまっていた)。

日本赤十字社は新型コロナウイルスには“3つの顔”があるとして、第1が「病気」、そして第2が「不安」、第3が「差別」であり、これら3つは負のスパイラルとなって最終的には差別が病気の拡散につながると警鐘を鳴らしている※2

ウイルスの直接の仕業ではない“第2・第3の感染症”は今回に限った話ではないだろう。新たな未知の感染症は今後も起こり得るし、自然災害や人災が引き金になるかもしれない。

なぜ人は、大きな脅威に晒されると、他者に対する攻撃性を抑えられなくなるのか。危機的な状況では分裂するよりも、結束したほうが得策ではないか。そんな疑問から、私たち「ヒト」の本質を探るべく、人類学者の長谷川眞理子氏(総合研究大学院大学学長)に話を聞いた。
※取材は2020年5月21日にオンラインにて行った。

長谷川眞理子長谷川眞理子氏
長谷川眞理子(はせがわ まりこ)
理学博士。専門は自然人類学、行動生態学、進化生物学。2017年より総合研究大学院大学長。これまでに国家公安委員会 委員や日本人間行動進化学会会長、日本進化学会代議員も務めている。著書は『進化と人間行動』『動物の生存戦略』『モノ申す人類学』など多数。

「共感」と「分断」は表裏一体

そもそも、敵・味方のように他者との関係を二分してしまうのは人間の性分なのか。

「私たち(We)と彼ら(They)という区別は人間の本質的なもので、同じ“We”の一員には、共感することができます。そして人間が他者に同情し、共感を示すことの原点は、親子や家族など密接なコミュニティにあります。この身近な人への共感というのは、哺乳類に共通する生物学的なものです」

動物の行動を観察した実験からは、動物的な「共感」を示す事例が報告されている。

たとえばラットでは、同じ籠で飼育されたケージメイトへの同情とみなせる行動が観察されている。ケージメイトが電気ショックなどを受ける様子を見ていたネズミは、そのケージメイトが戻ってくると、舐めてあげるなどして、明かに慰めるような行動を示すのだ。ところが、見知らぬ個体が同じような目にあっても知らん顔をしてしまう※3

ネズミの「他者」への共感は限定的だ Photo by Getty Images

サルやチンパンジーでも、他者に対する共感を調べた実験は多くある。飼育下では、彼らも同情心を示すという報告※4はあるが、見知らぬ個体に対してはしない。また、彼らの社会には明確な序列があり、上位の個体と下位の個体が協力することは難しい。

たとえば、序列が下の者は、上の者の食料に手を出そうとしないなど、他個体が何を知っているか(見ているのか)を推測することはできるが※5、感情的共感は野生ではあまり観察されていない。

「でも人間の子どもは、5~6歳でも同じ保育園の中で泣いている子がいれば、ふだん一緒に遊ぶ間柄じゃなくても、心配して放っておかないですよね。たとえ通りすがりの子でも、無関係ではいられない。

つまり、原初的に他人の喜び、苦しみが自分のものとして受け止められる。相手の欲するものがわかって、自分がそれをできるなら、やってあげたくなるのが人間なのです」

こうした人間の向社会性が、結果として利他行動につながっていると長谷川氏は話す。

では、なぜそれとは対照的に、排他的な行為もしてしまうのか。