6月 7日 第1回全国自動車競走大会(1936年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1936年のこの日、日本初の本格的な自動車レースである第1回全国自動車競走大会が開催されました。

 

会場となったのは、同年5月に開業した多摩川スピードウェイ。アジア初の常設サーキトとして開設され、簡易舗装された全長1200m、幅20mのオーバル(楕円)コースがありました。

数千人が観戦できるメインスタンドもあり、コース全体では3万人が収容可能とされていました。

多摩川スピードウェイは戦後は廃止され、自動車教習所やプロ野球の練習場を経て野球場に。東急東横線新丸子駅近くの多摩川の堤防に、いまもスタンドの跡が残されている Photo by Public Domain

そして6月7日に開催された第1回全国自動車競走大会は、1万人以上の観客が集まるなど大きな注目を集めました。このときに広報・宣伝を担当したのは、後の「フェアレディZの父」である日産自動車の片山豊(1909-2015)です。

開会式には陸軍の将官が列席し、サーキットには当時の最新鋭の自動車が集結。フォードやベントレーといった欧米からの輸入車だけでなく、設計図もないまま日本の技術者が手探りで製作したレーシングカーが走行しました。

ホンダの創業者、本田宗一郎(1906-1991)も、自ら製作した「浜松号」のハンドルを握ってレースに参戦。しかし他車と接触してクラッシュし、車から放り出された本田は全治1年以上におよぶ重傷を負ってしまいます。

このとき国産自動車部門で優勝したのは、当時三井物産の支援を受けていた中小企業のオオタ自動車工業。同社の創業者、太田祐雄(1886-1956)らが手作業で組み上げたレース専用マシンの「オオタ号(748ccサイドバルブ23馬力エンジン、車両重量400kg)」が、日産自動車のダットサンを破りました。

レースや観客席、応援、表彰式のもようをおさめた動画。第1回で優勝を逃した日産自動車が雪辱を果たして優勝した第2回のものと思われる

その後、1937年に始まった日中戦争の激化にともない、全国自動車競走大会は1938年の第4回を最後に中断してしまいます。

ですが一連のレースを通じて得られた貴重な経験は、本田宗一郎をはじめとした日本の技術者たちに戦後の大きな飛躍をもたらすこととなりました。