量子を理解するための「回路」を作る
ここでひとつ持論を述べさせてください。それは、
直感は育むもの
ということです。
例えば皆さん、小学校低学年の頃、簡単な足し算にすら苦労した覚えはないでしょうか? ですが、今は一桁の足し算を平気で暗算できるでしょうし、〈32+43=30〉という間違った式を見たときに、計算するまでもなく「おや?」と感じると思います。昔は苦労したことでも、今ではほとんど直感的に答えに辿り着けるということは、腑に落ちるまで正しい計算を繰り返した証です。
この「腑に落ちる」という瞬間が大切です。これは、脳内に「回路」が構築される瞬間です。足し算に直感が働くのは、十分な経験を通じて「足し算回路」が脳内に作られたからこそ。これは生まれつき備わった脳の機能などではなく、正しい経験の積み上げによって得られたものです。

これは机の上だけの話ではありません。
ボール投げなどもよい例でしょう。ボールにあまり慣れていない子供たちの投球はどこかちぐはぐな印象を受けます。本人も今ひとつしっくりこない様子。大人たちはなんとか投げるときの感覚を伝えようとしますが、なかなかうまくいきません。
ところが、正しいフォームで繰り返し投げているうちに、身体の中で何かがつながる瞬間が訪れます。ひとたびそうなればこちらのものです。投球はどんどん上達し、大人たちも「それだ!」と声を上げ、気づけばまるで生まれたときからできていたかのような錯覚すら覚えるようになります。

あれほどわからなかった「ボールを投げる」という感覚が、「投球回路」が構築されたことを境に直感的にわかるようになる。これもまた正しい経験の積み上げによって得られる能力です。
時代は「量子なんて当たり前」へ
このように、直感が働くためには土台となる【回路】が必要で、回路を作るには正しい方向に積み重ねた経験が不可欠です。逆に言うなら、何か新しい物事が直感的にわからないと感じたなら、それを理解するだけの回路が構築されていないということ。
かつて足し算やボール投げがそうであったように、正しい経験を十分に積むことで身体に回路が刻まれて腑に落ち、抽象的な概念をまるで実在のように感じられる。これが直感です。「直感は育むもの」と言った意味を汲んでいただけるでしょうか。
話を量子に戻しましょう。確かに量子には直感が働きません。しかしそれは、私たちが常識的に持っている直感を支える回路が、肉体に備わった五感による経験を通じて培われているからです。
この手の経験を裏打ちするのは、量子力学ではなく、古典物理学の領分です。量子現象が古典物理学で扱えない以上、五感から獲得した知識や経験をいくら「わかりやすく」振り回しても、量子を直感的に理解することなど絶対にできません。
ならば、量子を理解したければどうしたらよいか? ここまでくれば答えはひとつです。腑に落ちるまで正しい経験を積むべし。これに尽きます。私はこの『量子とはなんだろう』を、そのための第一歩として書いています。
量子が発見されて100年あまりを経た今、私たちは、量子力学をベースにした科学技術に囲まれて暮らしています。
量子を単純に「不思議だ〜」と思うだけの時代はそろそろ終わりです。今回、上梓した『量子とはなんだろう』が「量子なんて当たり前」の時代に向けた一助になれば幸いです。

見えている世界は、世界そのものではない。では、量子が織りなす「本当の世界」とは?
量子がわかれば、見える世界が変わってくる! 量子論が "直感的に" 理解できるようになるまで、 まっすぐに、けれども徹底的にやさしく、丁寧に解説。