小泉今日子はなぜ「政治化」したのか? 納得の変化に見る「希望」

2年前に表明していた「ある違和感」
助川 幸逸郎 プロフィール

「責任」を引きうける姿勢

小泉今日子は、今や「女優」であるよりも「社長」である。そのように考えると、演劇・音楽関係者の救済をアピールする理由は納得できる。それではどうしてこのタイミングで、安倍政権批判の姿勢を小泉は鮮明にしたのか。

ウィズ・コロナという緊急事態への対策を発表するに際し、各国の政治家は揃ってある言葉を口にした。その言葉とは「責任」である。

たとえば、ニューヨーク州のクオモ知事は、「出勤の全面禁止」をアナウンスした折につぎのように語った。

「責任は私がとる。誰かを非難したければ、私を非難してほしい」

 

ドイツのメルケル首相が外出自粛を呼びかけるスピーチには、こんな一節が見える。

「私が今解除日を端的に申し上げ、今後の感染率によって、もし約束を果たすことができなかったら、とても無責任なことになってしまいます。もし、私が約束を台なしにしてしまうことがあれば、医療も経済も社会もどんどん悪い状況になるでしょう」

私の指示が不都合な結果をまねいたら、「責任」は私がとる。失敗するわけにはいかない立場にあるので、「無責任な約束」はできない。非常事態に直面したリーダーには、そうした「責任」を引きうける姿勢が不可欠なのである。

関連記事

おすすめの記事