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コロナ危機、不必要な検疫・隔離は「人権侵害」だったのか

エボラ出血熱の教訓

ポスト非常事態

5月25日には全都道府県で緊急事態宣言が解除された。

徐々に、自粛、外出制限、休業要請、休校など、強制性の程度はさまざまだったが、行動制限が緩められてきている。

だが、実際のところ、新型コロナウイルス感染症は日本でも世界でも終息しているわけではないので、非常事態の後に日常に戻ることはできないようだ。

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目安がはっきりしなくなった分、非常事態のときよりも、空気感や同調圧力や陰湿な相互監視の強制性はひどくなっていく可能性もある。

個人の自己責任に寄りかかった「準非常事態」が、「新しい生活様式」などという言葉で呼ばれているものの実態だ。

生活様式つまりライフスタイルまでこまかく国家に指図されるのは、第二次大戦での総力戦体制での「欲しがりません、勝つまでは」のようで、気持ち悪いことだ。

かつて、ドイツの劇作家で批評家のブレヒトは、「航海のとき船員一人一人に特段の努力が求められるとすれば、船がおんぼろか、船長が無能か、その両方かだ」と第二次大戦下のドイツを例えていたことを思い出す。

 

さて、ポスト非常事態で大事なことの一つは、非常事態であたふたと行われた自由の制限が正しかったかどうかの検証だ。

たとえば、訴訟社会の米国では、不必要な隔離・検疫やロックダウンが個人の自由と人権を侵害したのではないかという裁判がこれから出てくるだろう。

その先例となると思われるのが、2014年のエボラ出血熱パニックのときの不当な隔離・検疫に関する米国での裁判である。

まだ係争中ではあるが、ポスト非常事態を考える指針の一つとして紹介しておきたい。