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政権への批判が「感情的」「誹謗中傷」とされる、日本の倒錯的状況

コロナ禍、検察庁法改正で見えたこと

日本社会にとっての大きな転換点だけでなく、世界にとっても社会変容を加速するとされる今回のコロナ禍。

よく比較される3・11の東京電力福島第一原子力発電所の事故は「リスクが大きすぎ、被害が長期的すぎ、不可視で、『あいまいな喪失』」と言われたまったく新しいタイプのトラウマだったが、今回のコロナ禍は同様に不可視で大きすぎる災禍であるだけでなく、被害者が潜行する(しかも被害の拡大に人が介在する)、さらに新しいタイプのトラウマである。

この新しい不可視性に対しては、より成熟した、忍耐を伴う、現実に向き合う態度が必要なのだが、社会の対応はどうだろうか。

私は3・11の時にトラウマに対する日本社会の反応について社会学と精神分析の観点から分析し、日本の社会学者たちと世界に発信した(樫村2016)ので、それを参照比較しつつ、今起こっていることについて考える。

注目するのは、コロナ禍をめぐるコミュニケーションの在り方だ。政治が説明責任を果たしているように見えないこと、SNSなどで政権批判が「感情的」として退けられること、「中立厨」の存在など、危機に際して現れた様々な日本社会の反応を精神分析の観点から素描したい。

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「STM言説」とは何か

まず注目したいのは、政治のコミュニケーションの在り方である。

その一つは、3・11の時にも起こった、「STM言説」によるコミュニケーションや応答の拒否である。

「STM(scientifique, technique et marchand)言説」とは、フランスの精神分析学者ドミニク=ジャック・ロス(2012)が指摘したもので、日本語に訳せば、「『科学』的・官僚的・商業的言説」である。現実を否認し、応答を実質的に拒否する、官僚や政治家たちが使用する言説である。

ネオリベラリズム社会の進行に伴い、精神分析で言う、社会の中の「象徴的なもの」(大雑把に言えば、社会的な「価値」や「規範」に基づいた意見)が瓦解し、科学的・経済的効率性に重点を置いた「功利的道具的言説」が社会を支配することをロスは指摘している。