自殺者が後を絶たない…リアリティーショーは「現代の剣闘士試合」か

あまりに残酷な「感情労働」
斎藤 環 プロフィール

無名な俳優は「仮面」を外せない

もちろん番組制作者は「そんなことは強制していない」と否認するだろう。なるほど、確かに具体的な指示も強制もなかったのかもしれない。しかしあなた方は、役者が「生のリアクション」をすることを喜んでみせなかったか。えぐいキャラをさらに強化するような振る舞いを褒めはしなかったか。そうした強化子を投入することで、彼らがあたかも自分の意思で感情労働にいそしむように誘導したのであれば、それは命令や強制よりもタチが悪く残酷である、と私は考える。

著名な俳優であるならば、ひどい悪役を演じても、それはいくつもある仮面の一つであると自他ともに認めることができる。しかし無名の新人俳優はそうはいかない。番組内で割り当てられたキャラはフェイクでも、それは仮面のようには簡単に取り外せない。キャラは彼や彼女の日常にもついて回る。

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加えて、番組内で表出された感情は必ずしもフェイクではないので、キャラと自分の切り替えが次第に困難になる。感情のやりとりで流す血は、俳優のそれは血糊だが、ショーの出演者の流す血は限りなく本物に近い。私が現代の剣闘士試合を連想したのはこのためである。

報道されたショーの犠牲者(あえてこの表現を用いる)の多くが、演じたキャラへの批判を苦にしての自殺だったのも無理もない。俳優としては発展途上である上に、あえてキャラと自身の区別がつきにくくなるような演出を強いられれば、SNS上に殺到する批判が「リアルな自分」を殺そうとしていると感じたとしても不思議はない。人格や感情のリアリティーを売り物にすれば、ある程度予測された帰結ではある。