僕の場合はたまたま運良く、追い詰められたことによって新宿ニ丁目というゲイタウンに出会い、そこで生まれて初めて自分と同じゲイの人と接して救われ、今に至っている。僕は存在しててもいいのだという、生きていく上で必要最低限の自信をあの時取り戻したのだと思う。

でも、それまでに散々削られた自信は30歳を過ぎた今でも完全には取り戻せてはいない。ゲイであることを否定してくる中傷コメントを見ても、何も思わずにスルーできてしまうのがその証と言えるだろう。それは決してスルースキルなどではなく、ただ、自分のために悲しんであげられないくらい自尊心を奪われてきただけのことにすぎない。

傷付けられる側はやがて、傷付ける側になる

ゲイタウンに足を踏み入れてからは、幾度かの整形手術や自傷的な性行為によって、自尊心の埋め合わせをしてきた。時にそれは成功し、「ホモ気持ち悪い」と言ってくる人に対しては、「ホモだろうとなんだろうと不細工は生きる価値ないですよ」などと笑いながら言い返すようにさえなっていった。そこで相手の傷付く顔を見た時は本当にスカッとしたし、整形して良かったと心の底から思った。

傷付けられる側から、やがて傷付ける側へ。言葉の威力を知っているがゆえに、気が付けば僕はそれまでとは逆のポジションに立っていた

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それでもネット上で誰かを誹謗中傷するようなことはしなかったが、その代わり、整形という仮面を着けたことによって、気に食わないと思った人間に対しては面と向かって中傷できる人間になってしまっていた。

その後、夜の仕事を始めてから一度ネット上に自分に関する書き込みを見つけ、酷く怯えたのを覚えている。それは僕の容姿に関する書き込みだった。ゲイであることをどれだけ揶揄されても何とも思わなくなりつつあった僕が、たった一言、「外見は普通だった」というような言葉を見て、再び死にたくなるほどの無力感を味わったのだ。

結局、怒りの力で自分に自信をつけても、怒りが悲しみに戻った瞬間、かりそめの自信は消えてしまう。