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コロナ禍で多くの人が「日本の異常事態」を認識したという「希望」

「ニューノーマル」の時代に向けて

何が変わり新しくなるのか

ポストコロナ、ウィズコロナ、コロナ新時代、ニューノーマルなどのフレーズが飛び交っている。首相の会見や厚労省のホームページでも「新しい生活様式」というような表現がさかんに使われるようになり、日常のライフスタイルからワークスタイルに至るまでさまざまなことが変化するといわれる。

ムードに流されることなく、今、ここで我々がしっかりと見極めておかねばならないことは、ポストコロナの世界では何が変わり新しくなるのか、ということだ。さらに一歩身を乗り出せば、このコロナ禍を転換点として、変えねばならないことを能動的に変えていくための行動指針を明確にし、実際に動き出すことが肝要だ。

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3.11で怠った「断捨離」のツケ

ここで思い起こされるのは、2011年3月11日の東日本大震災だ。世界的なパンデミックとなった今回のコロナ禍とは災害の質がまったく違うので単純に比較はできないものの、あの時も少なくとも日本にとっては大きな転換点になる出来事だと誰もが思った。

もちろん、被災した地域の人々にとってはその後の人生を一変させる一大事であったし、福島原発の汚染水処理や廃炉処理の問題は、国のエネルギー政策や産業政策を見直す材料にもなった。

しかし、結局のところ、3.11の震災は、国家のグランドデザインや人々の日常を劇的に変えるような転換点にはならなかったように思う。  「ニューノーマル」というような言葉も生まれなかった。

産業構造の転換やデジタルトランスフォーメーションの推進、それに伴う本来の意味での働き方改革など、日本は未来に向けた優先度の高いさまざまな課題に正面から向き合うことを避け、課題解決を先送りにした。いわば必要な断捨離を怠り、時代の変化に合わせて国をリ・デザインする好機を逸してしまったのだ。

震災から10年近くもの歳月が流れた今、「日本はもはや先進国ではない」というのが世界の共通認識になっている。今回のコロナ禍を巡る政府のさまざまな対応の遅さや混乱ぶりからも、それは如実に伝わってきた。