5月31日 数学者のE・ガロアが決闘で死去(1832年)

科学 今日はこんな日

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1832年の今日、フランスの数学者エヴァリスト・ガロア(Évariste Galois、1811-1832)が決闘で死去しました。

 

波瀾に満ちた若き天才の生涯は、わずか21年で終わりを告げたのです。

ガロアガロアの肖像画 Photo by Getty Images

パリ郊外に生まれ、リセ(フランスの中等教育機関)で留年していた少年・ガロアは、暇に飽かして数学を学び漁り、その才能をめきめき伸ばしていきました。

数度の不合格を経て師範学校に入学した彼は、勉学のかたわら1830年のフランス7月革命へ熱を上げます。この時期の学校批判の影響で、ガロアは2年足らずで放校になってしまいました。

短い人生の間に、ガロアは重要な概念を考案しました。今では「ガロア理論」と呼ばれる代数方程式に関する理論を説明するため、数学における「群」や「体」の概念を考案したのです。これらは現在の数学者で知らぬ者がいないほど重要な概念なのですが、当時の人々にとってはあまりに先駆的だったため、生前に業績が認められることはありませんでした。

そして1832年、弱冠20歳のガロアは、決闘によって命を落としました。19世紀の当時、女性などをめぐって男性同士が決闘をすることはよくある話だったのです。彼は決闘の直前、5月29日の夜まで、5次方程式には解の公式が存在しないことを証明した数学史上重要な書簡を「僕にはもう時間がない」という言葉とともに記していたといいます。

そして5月30日の早朝、銃を使った決闘(西部劇で目にしますね)で敗れてその場に放置されます。数時間後発見され病院に運ばれますが、傷口から入り込んだ細菌がもとで翌31日に亡くなってしまいました。

この世に早く生まれすぎた天才の、あまりに壮絶な最期でした。

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1832年5月30日の決闘の前夜、ガロアは親友シュヴァリエへの8ページの手紙に、彼の代数方程式の解の研究を書き遺した──。
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