『國體の本義』のなかみは、こんなふうである。
その昔、イザナギ、イザナミが日本列島をうんだ。そしてイザナギが、アマテラス、スサノヲ、ツクヨミの三人をうんだ。アマテラスは高天ヶ原を支配した。日本列島は放置されていた。そこでアマテラスは、孫のニニギノミコトに、統治するよう命じた。そのニニギの曾孫が、神武天皇である。
以後代々、天皇が日本を統治して、いまに到る。
こんなに由緒ある国は、世界に類例がない。日本は特別である。天皇の大権は、アマテラスの「神勅」にもとづく。憲法と関係なく、日本人は天皇に服従すべきなのだ。
『國體の本義』は、帝国憲法よりも、国体のほうが大事だとする。国体とは、国のあり方のこと。天皇と日本の人びとが一体であるという関係、のことだ。
国体は、神話の昔にさかのぼる。神話時代の出来事と、現在を結びつける。こういう運動を、ロマン主義という。ロマン主義は、ナショナリズムを燃え上がらせるガソリンである。帝国憲法がもっていた合理性をガタガタにし、非合理な戦争に突き進んだ。
『國體の本義』のイデオロギーは「皇国主義」。皇国主義にまとわれた日本は「皇国日本」である。
日本のため、共同体のため、人びとは喜んで犠牲を払う。けれども、日本や共同体をどう守るかの方法論がない。追い詰められればバンザイ突撃する。特攻機で体当たりする。一億玉砕を覚悟する。国体と一体化し、国体を守るために死ぬことが「悠久の大義」だった。