ひとはなぜ暗黒に啓蒙されたがるのか?

『暗黒の啓蒙書』入口手前“超”入門
暗黒の啓蒙人 プロフィール

とにかく外へ、出口へ、ここではないどこかへ……

こうして見てくると、新反動主義にせよ暗黒啓蒙にせよ加速主義にせよ、この世界の外部に通じる「イグジット」を求める欲望の表現であることがわかります。とにかく外へ、出口へ、ここではないどこかへ……。

ただし注意するべきは、すべての人に等しく出口の「向こう側」が用意されているわけではないということです。それどころか、制約なしの資本主義のプロセスは、一部の「上級国民」を利し、今よりもっと仮借のない階級社会を出来させるだけかもしれないのです。

冒頭にあえて戯画的なエピグラフを掲げましたが、あれは「勝ち組」とまでは言わないにしても、さながら既得権益層にお誂えの嘆息あって、新自由主義社会の酷薄さを耐え忍び、普通の意味で出口の見えない日々を送る労働者のそれと同じものではないはずです(というか、そうであってほしい)。

それでも当の労働者が、「勝ち組」経営者たちがチラつかせる「暗黒面」に惹きつけられてしまう詐術(魔術)的な構造があるとすれば、私たちはそれをこそ解きほどいていかなければならないのだろうと思います。

それでももし、暗黒啓蒙への欲望をギリギリ擁護できるとすれば、それは私たちが無前提に受け入れているリベラルな価値観の根拠を改めて問いに付し、場合によっては鍛え直したりしてみること今と地続きの未来からポジティブに逸脱する可能性を想像してみること、そうした道筋に促しと励ましを与えたことかもしれません。

   * * *

……ちょっと暗黒の明度が上がりすぎてきたので、これくらいにしておきます。暗黒啓蒙にもう一度啓蒙の光を当てて、暗黒の黒さを漂白してしまっていなければよいのですが……。

各テーマの深掘りも足りないし、本来であれば人種問題やオルタナ右翼、ポスト・ヒューマニズムや思弁的転回などにも触れねばならないところですが、それはまた、別の機会に。

関連記事