ひとはなぜ暗黒に啓蒙されたがるのか?

『暗黒の啓蒙書』入口手前“超”入門
暗黒の啓蒙人 プロフィール

「大聖堂」を破壊せよ

もう一つ、新官房学の重要な軸として、「大聖堂(カテドラル)」批判が挙げられます。

「大聖堂」とはすなわち、リベラルな諸価値――民主主義、人権、平等、ポリコレ、多文化主義……――を奉納し、また布教=宣伝しもする機関のことです。

こうしたイデオロギーがエスタブリッシュメントのあいだで蔓延し、メディアや教育機関を支配することによって、われわれの自由(特に言論の自由など)を窒息させているのだ、とモールドバグは言います。だからこそそれは破壊されなければならない、と。

新反動主義や暗黒啓蒙が現在の体制への怨嗟を吸いとり、また焚きつけもする構図が、だんだん見えてきたかと思います。

『暗黒の啓蒙書』のPART 1「新反動主義者は出口(イグジット)へと向かう」では、ランドによる新反動主義の基礎づけとさらなる展開が見られますので、ぜひ実際のテクストにあたってみてください。

 

ニック・ランドのID

『暗黒の啓蒙書』の著者、ニック・ランドの経歴についても見ておきましょう。

ランドは1962年イギリス生まれの哲学者です。バタイユやドゥルーズ+ガタリなど、主にフランス現代思想を研究、90年代中頃にはイギリス・ウォーリック大学の講師として「サイバネティック文化研究ユニット(Cybernetic Culture Research Unit: CCRU)」を設立します。そしてそこで哲学に留まらず、SFやオカルティズム、クラブカルチャーなどの横断的な研究と実践に従事します。

そんな研究者人生を歩んだランドですが、そのスタイルは「異端」そのもの。およそアカデミアの「正統」からかけ離れた断片的で錯乱したような文体を弄し、あたかも主流の権威からの逸脱をあえて志向するかのようでした。

当時のあるクラブイベントで、ジャングルのビートが鳴り響くなか、フロアに横たわり、アントナン・アルトーの詩を奇声とも祈りともつかない調子で詠唱した、なんて逸話もあります(木澤氏前掲書より)。

でもこれ、ランドからすれば切実というか誠実というか、西洋の学問が歴史的に培ってきた「人間」やら「主体性」やらの枠組み――それはランドにとって、他者を対象化し、帝国主義を駆動するプロトタイプなのでした――を壊して外へ出ていくには、そこまでしないと叶わないという切迫感があったんだろうと思います。ある意味けれんみがない。

もっとも、当時を知るCCRUの元メンバー、ロビン・マッケイに言わせれば、「端的に言って、彼は発狂したのだ」となるのですが……。

そんなランドは98年、大学を辞すとともに上海(!)に移住します。西洋およびアカデミアの世界からの「イグジット」でしょうか。

そして2000年代になると、そこで新聞記事や旅行ガイド(!)、小説などの執筆を始めます。

例えば観光情報誌『ザッツ上海(that’s Shanghai)』がそれですが、実はこの雑誌のウェブ版のなかのブログ「都市の未来」で、『暗黒の啓蒙書』の原典となる「暗黒啓蒙」は発表されたのでした(ちょっと不似合いな感じがしますよね)。

関連記事