武漢と福島第一の失敗は同質…「100%安全神話」の毒に気づけ

「あってはならないこと」は起きる
大原 浩 プロフィール

費用対効果、優先順位を考えることは必要

人命は尊い。1人の命が「地球よりも重い」という考え方も十分理解できる。そのヒューマニズムが現代(先進国)文明の根幹でもあるとも思う。

しかし、70億人の人類を犠牲にして、たった1人の命を救うべきかどうかは「ハーバード白熱教室」(1人を救うために5人を犠牲にすべきかどうかというような討論が行われる)ではないが、よく考えるべき問題だと思う。

アニメや映画で、たとえ相手が極悪人でも決して人を殺さない主義のヒーローが活躍する作品がよく見られる。しかし、そのヒーローの無茶のおかげで危険にさらされたり、場合によっては死に追いやられる善良な人々のことは無視されがちだ。このような描き方には大いに疑問を感じる。

身近なところで言えば交通事故がある。2019年の日本における死者は3215人であるが、緊急事態宣言解除時の中共(武漢)肺炎の死者は累計で800名ほどである。このまま、再流行がなく落ち着けば、年間ベースでは交通事故の死者の方がはるかに多い。

しかし、自動車は危険だから廃止せよという議論は聞こえてこない。私は現在、免許は持っているものの運転はしないから廃止になってもかまわないが、例えば宅急便や商店への物流などで間接的に自動車の恩恵を被っている。

また、消防車、救急車など人命を救うための自動車も多い。これらの自動車だけを残そうとすれば、全国津々浦々まで伸びる道路網などのインフラを維持しなければならない。その費用を賄うためには、年間3215人の命を奪う自家用車も含めた自動車が必要だといえる。

つまり、1人の人命はとてつもなく尊いが、社会全体では「最大多数の最大幸福」が維持されるべきなのだ。

我々の持つ資源は有限だから、すべてを満足させることはできない。限りある資源をまず、どの備えに充てるかを議論すべきである。

 

5月25日に緊急事態宣言が全国的に解除されたので、これからは第2波の脅威に備えながらも大きな打撃を受けた経済の「復興」段階に入る。その際には、3月26日の記事「『火星人襲来』パニックと武漢肺炎、人々の漠然とした不安の原因は?」で述べた様に過剰反応は禁物だ。

我々は既に、年間3215人の命を奪う自動車との共存を成功させているのだ。ウイルスも根絶しようなどと考えずに「共存する方法」を模索するべきではないであろうか?

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