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武漢と福島第一の失敗は同質…「100%安全神話」の毒に気づけ

「あってはならないこと」は起きる

あってはならないから議論をしないという愚の骨頂

最近の中共(武漢)肺炎ショックでやや記憶が薄れつつあるが、2011年3月11日に発生した東日本大震災直後の福島原子力発電所事故は我々を恐怖に陥れた。

現在同様、戸外に出る時は「決死の覚悟」であった。もちろん、ウイルス同様目に見えない放射能にどこで遭遇するかわからないからである。

情報が錯綜し、オールドメディアによる風評被害が多数生じ、国民が多大なる被害を受けたのもまったく同じだ。科学的・合理的な見識を持たずに偏った情報をたれ流すオールドメディアにまったく進歩はないが、今回はその件ではない。

原子力発電所の建設には安全性を懸念する地元の反対運動がつきものだから、推進側は「原発は安全」ということをやたらと強調する。確かに、原子力発電所には数々の安全装置・機構が2重・3重にはりめぐされているから、安全に細心の注意を払っているのは事実だ。

しかし、それでも反対派は「100%安全か?」と詰問する。もし「0.01%のリスクがある」と答えようものなら、反対派を説得できないから「100%安全です」と答えることになる。

すると、「万が一の事故の対策」をしたくても「100%安全なのだから万が一の備えなど不要だ。なぜそんなことをする?」という議論になってしまう。福島原発事故の対応については、色々な批判があるが、「万が一」のときの対応がそのような議論によって十分でなかったことが原因とも思える。

今回の中共ウイルスも「中国発のパンデミックがあってはならない」という共産党の面子から、発生直後に情報を開示した勇気ある人々に圧力をかけたり、特別な関係が噂されるWHOがなかなかパンデミックを宣言しなかったりした。

その「あってはならないこと」に対する隠蔽工作によって、各国の「万が一の対応」が大幅に遅れ世界的な災害となった。

 

「原発100%安全神話」は、「武漢100%安全神話」と通じるところがある。

「あってはならない」ことは「起こらない」ことにしてしまい、十分な対策を行わないから、被害が拡大するのだ。