「『8時だョ!全員集合』から『ドリフ大爆笑』、『バカ殿様』まで、私は共演者として40年以上にわたって志村さんの姿を見てきました。
あの方は、『自分には普通の幸せなど手に入らない。安穏とした日々を送っていたら、どんどん腐っていく。俺は笑いと心中するしかないんだ』と、覚悟を決めていたように思います。笑いというものに、人生を懸けていたのです」
そう語るのは、歌手の由紀さおり氏だ。
今年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で志村けん(享年70)が亡くなってから、2ヵ月が経つ。
いつもニコニコしている、気のいいオジサン。若い女性タレントに囲まれ、なんだか楽しそうに生きている。それが志村に対して世間が抱いていたイメージだろう。
たしかに『天才!志村どうぶつ園』で犬や猫を前にして相好を崩すシーンは、彼の優しい性格を映し出していた。だが、それはこの男のほんの一面でしかない。
テレビでは絶対に見せなかった「志村康徳」(本名)の生き様は、苛烈と言ってもいいほどだ。32年前、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』で放送作家を務めた江戸川大学教授でお笑い評論家の西条昇氏はこう振り返る。
「今でも鮮明に覚えているのが、TBSの会議室でコントを練り上げているときの、志村さんの眼差しです。私は隣の席に座り、その真剣な表情を間近で見てきました。
打ち合わせはいつも長時間に及びました。1時間や2時間、ほとんど誰も言葉を発さない。重い沈黙が続くのは当たり前です。志村さんは構成作家が書いてきたシナリオに目を通してもそのままOKにすることはありません。そこから、絞り出すようにアイデアをまとめあげていきました。毎回、そのくり返しです。
志村さんは本当に自分が納得しないと、先には進めない。作家やプロデューサー、ディレクター任せにはできないタイプだったので、ものすごい緊張感でした」