コロナ後、日本はどうなるか? 地方分散型への転換と「生命」の時代

中心コンセプトはすでにAIが示していた
広井 良典 プロフィール

以上のような科学の大きな流れを俯瞰すると、私たちは「情報」の先にある、いわば「ポスト情報化」の時代を考えていくべき時期になっている。

そして、「情報」の次なる基本コンセプトは何かと言えば、それは明らかに(この世界の中でもっとも複雑かつ根源的な現象としての)「生命」に他ならない。

この場合の「生命」とは、「生命科学」と言う場合のような狭い意味だけでなく、英語の「ライフ」がそうであるように「人生、生活」といった意味を含むと同時に、生態系(エコ・システム)や地球上の生物多様性といったマクロの内容も含んでいる。

〔PHOTO〕iStock

「生命」は「情報」でコントロールできるか

こうして私たちは「生命」というテーマに正面から向かい合う時代を迎えようとしているのだが、まさにそうした時に起こったのが、今回のコロナ・パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大だった。

これまで、一部の人々は「情報」によって「生命」をすべて理解し、コントロールすることができると主張してきた。AIがやがて人間を凌駕するという、「シンギュラリティ」論で知られるアメリカの未来学者カーツワイルなどはその典型だろう。彼の有名な著書『シンギュラリティは近い(Singularity is Near)』のサブタイトルは、いみじくも「人間が生物学を超えるとき(When Humans Transcend Biology)」となっている。

要するに、「生命」はすべて「情報」によって把握し制御できる、あるいは「人間は“情報の束”に過ぎない」というのがその基本思想である。「情報的生命観」とも呼べる世界観だ(これについて詳しくは拙著『生命の政治学』(岩波書店)参照)。

しかし皮肉にも今回の新型コロナ・パンデミックにおいては、生命あるいは自然というものは、そう単純にコントロールできるような存在ではないことがドラスティックな形で示されてしまった。

細菌やウイルスはある種の‟創発性”をもっており、人間が設計したアルゴリズムのコントロールをすり抜ける形でさらに進化していく。「生命」は「情報」やアルゴリズムだけでは制御できない、固有の性格をもっているのだ。

 

いずれにしても、今回のパンデミックは、科学の基本コンセプトあるいはパラダイムが「情報から生命へ」とシフトしつつあることの一端を、象徴的な仕方で示したと言えるだろう。

もちろん、ここで私は決して「情報」が重要な概念ではなくなっていくと言おうとしているのではない。

ここで述べているように17世紀以降、科学の基本コンセプトは「物質→エネルギー→情報→生命」とシフトしてきたわけだが、「情報」が中心的なコンセプトとして浮上した20世紀半ば以降においても、(それに先行する)「物質」や「エネルギー」というコンセプトが失われていったわけではない。

つまりこれらのコンセプトは、いわば重層的に“積み上がっていく”ように進化していくのであり、以前の段階のものが捨て去られていくのではない。