コロナ後、日本はどうなるか? 地方分散型への転換と「生命」の時代

中心コンセプトはすでにAIが示していた
広井 良典 プロフィール

しかしいかんせん日本社会は、昭和的な“集団で一本の道を上る”時代の「成功体験」の残り香がなお強固に染みついており――特に団塊世代前後の人々を中心に――、組織のあり方においても個人の生活や人生のデザインにおいても、そうした転換ができないまま近時に至り、それが「平成」の“失われた〇〇年”の背景ともなり、かつ“「令和」に持ち越された宿題”でもあったのだ。

したがって今回の新型コロナ・パンデミックは、日本社会において本来なされるべき改革を促進ないし加速させるような(その意味でポジティブな可能性をもった)、ある種の「外圧」と把握することも可能だろうし、現にそのように感じている人は(私の周りを見ても)多くいると感じられる。

同時にそうした新たな方向は、個人がこれまでより自由に各々の創造性を発揮していくことや、多様なライフコースを可能にするとともに、おそらく結果として経済や人口にとってもプラスに働き、社会全体の持続可能性を高めていくだろう。

「アフター・コロナ」の社会構想の中心にあるのは、そうした包括的な意味での「分散型システム」への転換なのである。

 

情報から生命へ――科学の基本コンセプトの進化

以上、私たちがここ数年行い本欄でも以前紹介したAIシミュレーションとの関連で、「分散型システム」への転換というテーマを軸に「コロナ後の社会」の展望を述べてきた。

一方、そうしたコロナ後の社会の構想にあたり、もう一つ重要となるのが、この現象を長い歴史の時間軸の中でとらえ直すことであり、特に科学・技術の大きな流れの中で今回のパンデミックがどのような意味をもっているかを考えることである。

そして、ここで重要となるのは以下に述べるような「情報から生命へ」という視点に他ならない。

歴史的に見ると、17世紀にヨーロッパで「科学革命」と呼ばれる現象が起こり、私たちが現在言うところの「科学」というものが成立した。議論を急ぐことになるが、それ以降、科学において中心となるコンセプトは「物質」→「エネルギー」→「情報」という形で推移し、今後は「生命」が基本になっていくという把握が重要である(この点は拙著『ポスト資本主義』(岩波新書)や『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)等で論じてきた)。

ごく駆け足で振り返れば、17世紀の科学革命を代表するのはニュートンの古典力学で、そこでは「物質(マター)」が軸となり、その運動法則の解明が中心的なテーマだった。

やがて熱現象や電磁気など、ニュートン力学では説明できない現象が探求の対象となる中で、19世紀半ばには「エネルギー」という概念が作られ、これは石油や電力の大規模な利用と結びついて急速に工業化社会を実現していった。

やがて20世紀になると、二度の世界大戦における暗号解読や通信技術の重要性とも並行して、「情報」が科学の基本コンセプトとして登場するに至る。具体的には、アメリカの科学者クロード・シャノンが情報量の最少単位である「ビット」の概念を体系化し、情報理論の基礎を作ったのが1950年頃のことだった。

あらためて確認すると、一般に科学・技術の発展は、「基礎理論→技術的応用→社会的普及」という形で進んでいく。そして一見すると、「情報」に関するテクノロジーは現在爆発的に拡大しているように見えるが、その原理は上記のように20世紀半ばに確立したものであり、それは既に技術的応用と社会的普及の成熟期に入ろうとしている。

つまり、実は「情報」やその関連産業は“S字カーブ”の「成熟段階」に入ろうとしているのであり、いわゆるGAFAの業績も最近では様々な面で陰りがさしてきていると言われる。