2020.05.28
# 教育

「教師が面倒を見過ぎない」ロッテ佐々木朗希の母校の「自走」する教育

新しい教育のかたち「大船渡学」の効果【後編】
石川 一郎 プロフィール
 

大船渡学が誕生して間もない頃から追いかけている、岩手めんこいテレビの工藤哲人さんが語る。

「私が、取材を通じて、大船渡学の成果として感じたことは、とにかく、『探究』すること自体を、生徒もそうですが、先生たちも楽しんでいるということです。

大船渡学は、最初は『問い』を立てることから始まります。自分ごととして、探究テーマを掘り下げていくので、自分がおもしろければのめり込んできます。しかし、その後、自分の探究を、人に理解してもらうために、『言語化』することが求められます。

そこで、自分自身で悩み、思考する過程が、生徒を成長させ、各教科の学習にも主体的に取り組む姿勢を作り出していることを知りました。とにかく、おもしろそうなことを求めている学校で、まずはやってみよう!  とすぐOKになります」

「自走」することの大切さ

最後に、大船渡学に筆者が最も共感する言葉をここでまとめたい。

「生きる力」「主体的な学び」

「ゆとり教育」の時以来教育現場で取り上げられてきた。「人」はそもそも「生きる力」は当然持っていると感じるし、自分の人生を主体的に生きることも当たり前のことで、それを教育で目標とかかげる言葉なのかと。

しかし、長年教育現場にいるとよくわかる。

「自分の人生だろ、自分で何でも考えてやりたいようにやれば」と言いたい。だが、

「本当は、そうなんだけど、うちの学校の生徒は言わないと何もやらないから……」

という言葉がカウンターのように返ってくる。

「そうは言っても、保護者の要望も強いし、大学進学させないと……。とにかくやらせるしかないんだよ」

保護者は何とか我が子の面倒をみて欲しい。教師は、とことん生徒たちの面倒をみて「いい先生」と思われたい。そして、生徒は指示されることを待っている

この鉄板とも言えるトライアングルが教育現場を支配している

結果、教師は面倒を見過ぎて、疲弊し、ブラック労働の典型と言われるようになる。

一方、生徒たちは、どうか。残念ながら、持っている力が十二分に発揮されているとは言えない。人は指示されたことは、たいがいは7割か8割しかやらないものである。ゴールが設定されれば、楽であり、あまり頭を使わなくても、ある程度一生懸命やればいい。

大船渡高校の取り組みは、この関係性を打破した、と言える。

「自走」することをねらう。

生徒たちが、「自ら」考えて、「自ら」の道を探し走っていく

大事なことは、この時の教師の役割

決して、生徒たちを放置しているのではない。プログラムを提供することもあれば、さりげない声かけもする。時として、とことん話をすることもある。

生徒たちが、深く考えたくなる「問い」を時としてぶつける

管理しているわけではない、生徒たちの「自走」を「伴走」する教師

働き方改革が叫ばれるなか、大船渡学から未来の教育に向けた一筋の光が見える。

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