加藤友希さん(仮名・49歳)は11年前に離婚した。当時10歳の息子と8歳の娘は、元夫のもとに置いて出た。
「離婚を申し出た私に、子どもの親権を渡すなら離婚に応じる、と。どうしても元夫と別れたかった私には、それしか選択肢がなかったのです」
親権を手離した母親への厳しい目
未成年の子どもがいて離婚する場合、その8割以上が、母親が子どもの親権をもち、同居する。でも、そうではない離婚もある。「ふつう母親が子どもと暮らすだろう」「母親なのに、よく子どもを置いていけるよね」。子どもの親権を手放した母親に世間の目は厳しいが、そこには当事者にしかわからない事情がある。友希さんの場合は、どうだったか。
「子どもを置いて出た」という言葉だけ聞けば、母性に欠けた冷たい女性をイメージしてしまうかもしれない。しかし、知人の紹介で出会った友希さんは、心配りの行き届いた素敵な女性だった。ボランティア精神にも富んでおり、仕事の傍ら、とある会の取りまとめ役として活動している。
一方で、人あたりの柔らかさの奥に、芯の強さと頑固さを感じる。理想が高く、人生に妥協できないのだ。
思い描く家庭像のズレ
友希さんが結婚したのは、彼女が28歳のときで、元夫は5歳年上。同じ会社の同僚として出会った。友希さんは営業部で、元夫はシステム部。
「元夫はミュージシャンを目指していたけれど、30歳までに芽が出なければ諦めるとして、サラリーマンに転身したばかりでした。私の知らない世界を知っていたり、私は機械系に弱いので、パソコンとかにくわしかったりするところがとても格好よく見えたんです」
付き合い始めて1年も経たないうちに、子どもができて結婚。互いにじっくり相手を見極める時間がなかったからか、2人の相性はあまりよいとは言えなかった。当初から、価値観の違いを感じる場面が多かった、と友希さんはかつての結婚生活を振り返る。
「元夫は、きょうだいの中で自分だけ父親が違ったり、生き別れの姉がいたりと、育った家庭が複雑で。日曜日の夜はお母さんの作ったごはんを食べながら家族みんなでサザエさんを観るみたいな、ふつうの家庭に憧れていました。それだけにすごく保守的で、私が働くことも、お酒を飲むことも、友だちづきあいすることも嫌がりました。でも、私は仕事もしたいし、友だちとも出かけたいし、興味をもったことにはいろいろ挑戦したいタイプ。結婚してすぐに、これは失敗したな、と思ってしまいました」
友希さんは、結婚することで互いに刺激を与え合い、世界を2倍、3倍に広げていきたかった。元夫は、愛する家族さえいればいい、家族だけで固まっていたい、と思っていた。要するに、描く家庭像が異なっていたのだ。
「いちばんいやだったのは、私の両親との交流にもいい顔をしなかったことかな。家族以外の誰にも、自分の親にも心を開かない人で、ママ友と家族ぐるみの付き合いなんてもってのほか。すごくがっかりしてしまった」
もっとコミュニケーションを取るべきだったのかもしれないが、どちらが悪いわけでもない気持ちのすれ違いは、話し合いで解決できるものでもない。友希さんは「言っても仕方がない」と諦め、元夫は「言われないからこれでいい」と思ってしまった。長男に続き、長女が生まれ、4人家族になったが、夫婦仲は常にギクシャクしていた。