5月28日 薬害スモン訴訟が始まる(1971年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1971年のこの日、第二次大戦後の日本における代表的な薬害、スモン(SMON)についての訴訟が始まりました。 

スモンは当時整腸剤などに用いられていたキノホルムという抗アメーバ薬が原因となって発生した薬害で、その名前はSubacute myelo-optico neuropathy(亜急性視神経脊髄末梢神経炎)の頭文字に由来しています。

主な症状は下痢や神経障害、視力障害などです。

もともとキノホルムはスイスで外用殺菌剤として発売されましたが、やがて腸内を殺菌する目的で内服薬としても世界中で使用されるようになりました。

その効力から多くの国へと広まっていったキノホルムですが、1935年にアルゼンチンでスモン病らしき症状が確認されたため、スイスではこれを劇薬に指定しました。

日本でも一時期使用が制限されていましたが、第二次世界大戦前に物資が不足したため、1939年に劇薬指定を解かれています。

戦後になっても混乱した状況は変わらず、厚生労働省の薬事審議会は薬局方に掲載されていた薬品のすべてを承認してしまったため、キノホルムは使用され続けました。

その後、1950年代から岡山県の井原市を中心に手足のしびれや激痛、運動障害、さらには失明に至る人があらわれ、「原因不明の奇病」と巷を騒がせました。

原因不明であったスモンは「大人ポリオ」と呼ばれたこともある。写真はポリオウイルス Photo by iStock

風土病説や伝染病説など噂が錯綜するなか、当時新潟大学脳研究所教授であった椿忠雄(1921-87)が患者の排泄物中に残る緑色の結晶を調べ、スモンの原因がキノホルムにあることを特定しました。

薬害であることが判明したことから患者側は国や製薬会社を提訴。最初に東京地裁に訴訟が提起されたのが1971年5月28日でした。その後も集団訴訟が続き、1978年以降は原告勝訴の判決が相次ぎます。

そして1979年9月、国側は患者に対する援助と恒久的な対策を取ることを誓約しました。

国内で1万人を超える患者と500人以上ともされる死者を出したスモンは「史上最大の薬害」とも言われています。今後このような事態が起こらないことを祈るばかりです。

Photo by iStock

余談ですが、スモン病の原因を特定した椿忠雄教授は四大公害病のひとつである新潟水俣病を発見した人物でもあります。日本が発展を遂げていた時代にその暗部を次々と暴いた人物と考えると非常に興味深いですね。