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1985年「ロッテ・落合博満」が鬼神のごとく打ちまくったあの年

3割6分7厘、52本塁打、打点146

2打席に2回は出塁

「もうね、あの年の落合はレベルが違った。バッターとして、一人だけ違う地平に立っているように感じました。彼があの構えを見せただけで、独特の威圧感があった」

1985年、ロッテ・オリオンズの主砲だった落合博満(66歳)の姿を、当時の阪急のエース・山田久志はこう振り返る。

入団7年目の'85年シーズン、落合は野球人生の絶頂を迎え、鬼のように打ちまくった。打率・367、52本塁打、146打点。さらに、出塁率は4割8分1厘。およそ2打席に1回は、塁に出ていた計算になる。

まだプロ野球の年俸が高騰する前の時代、年俸わずか5940万円の男は、他を寄せつけない数字を残し、2度目の三冠王に輝いた。

 

「あの年、落合の四球は101個。5打席あるうち、1つは四球を選ぶ。そのうえ、かならず1~2本のヒットを打つわけだから、出塁率が上がるのは当然の話です。落合に限っては、四球とシングルヒットは仕方がない。とにかく、デカいのを打たれないように気をつけて投げるという感じでした。それでも、ほんの少し甘く入ると簡単に持っていかれる。手の施しようがなかった」(山田)

球場で自分の名前がコールされると、気だるげな様子で打席へと向かい、捕手寄りギリギリの位置に構える。体の正面でバットをゆらりと倒し、おもむろに腕をピンと張る。そして、内角ギリギリを突いてくるボールを、腕を畳んで左右のスタンドへと放り込む。

「神主打法」から放たれる、ゆったりと弧を描く打球は、落合にしか打てない名人芸だった。落合はいつ頃、あの天才的な技術を身につけたのだろうか―。

「私の野球人生は冬から始まった」かつて自著でこう語っているように、プロ入りまでに落合が歩んできた道のりは、「野球エリート」とは程遠いものだった。