日本でも多数出現…「自粛警察」の心理を理解できますか?

「正義」はこうして暴走する
原田 隆之 プロフィール

キーワードは「不安」と「不公平感」

このような人々の心理の根底にあるものは、過度な「不安」である。未知の感染症拡大のなかで、不安にさいなまれた挙句、「とにかく自粛」「マスクが大事」と過剰に紋切型の反応をする。そのとき、なぜ自粛をすべきか、どこまで例外が許されるか、なぜマスクをすべきかなどという、面倒で複雑な判断をする心理的余裕はない。

ここで、「不安」という感情自体も、われわれが進化の過程で身に付けた重要な感情である。危険な事態に陥っても、不安を一切感じない人は、適切な防御行動が取れず生き残ることができないだろう。したがって、われわれは、不安のシグナルが敏感で生存競争を生き残った人々の子孫にほかならない。

とはいえ、過剰な不安はやはり不適応的な事態を引き起こす。それが「コロナ警察」の人々の心理である。

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最後にもう一つ指摘したい心理は、「不公平感」である。われわれは、漠然と「世の中は公平にできている」という信念を有している。これを「公平社会信念」と呼ぶ。そして、世の中は公平なのだから、悪いことをした人には「バチ」が当たると考える。

ここから発展して、みんなが我慢して大変なときに、それをしないで気ままに生活している人はずるい、不公平だ、「バチ」が当たって当然だと考えてしまい、自ら罰を与えることにも抵抗感が薄まってしまうのである。

これは裏を返すと、彼らは公平であるべき社会の中において、日ごろから不公平の犠牲となっている人々なのかもしれない。すでに多くの人々は自覚しているように、社会は公平などとは程遠い。不公平は至るところにある。社会は公平であるという信念はナイーブすぎる。

しかし、逆説的であるが不公平の犠牲となっている人ほど、目の前の不公平を見ないふりをして、「いつか公平になるはずだ」「この不公平は正されるはずだ」と信じて、「公平な社会」を信じないではいられないのだ。そして、いつしか公平を乱す人々に大きな脅威を抱き、公平な社会の実現のためという「正義」の鉈を振るうようになる。

 

このように考えると、「コロナ警察」の人々を糾弾するだけで物事は解決しないことがわかる。彼らの心理の底にある不安や不公平感を抜本的に解決することこそが、社会の、そして政治の役割だといえるだろう。