【戦場の名言】コロナ禍以上の災厄…「戦時下の日本人」は何を語ったか?

人の死を、美辞麗句では飾れない
神立 尚紀 プロフィール

進藤さんは戦後、自動車ディーラーの山口マツダ常務取締役となり、戦中とは一転した平凡な会社員生活を送った。鈴木さんはキングレコードに入り、春日八郎、三橋美智也、梓みちよ、大月みやこなど多くの歌手を世に出し、さらに洋楽本部長としてローリング・ストーンズやカーペンターズを日本で売り出した。

「それは、俺だって勝てるとは思わないさ」と鈴木さんが言ったように、旧海軍の士官の多くは、アメリカ、イギリスを敵に回して日本が勝てるなどとは考えていなかった。

「こんな馬鹿な戦争を始めやがって!」

戦前は、海軍兵学校を卒業、少尉候補生になれば、必ず練習艦隊で遠洋航海の実習を行う。行き先は年度によって、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアのいずれかを訪れるのが通例だったが、世界一周をしたクラスもある。進藤さん、鈴木さんたち海兵60期は、アメリカ各地を巡航し、その桁違いの国力をその目で確かめてきただけに、なおさらであった。

 

二人と同じ海兵60期出身で、開戦時、軽巡洋艦「長良」航海長を務めていた薗田肇さん(当時大尉、のち中佐)の回想――。

開戦の日、昭和16年12月8日の朝、艦橋に上がってきた艦長・直井俊夫大佐が、何と言われたと思いますか? 開口一番、『こんな馬鹿な戦争を始めやがって!』ですよ。艦橋には第一根拠地隊の司令官も参謀もいましたが、誰も異をとなえなかった。むしろ、ウチの艦長、相当な反体制派だぞ、と一同痛快に感じたものです

そんな、無謀な戦争がなぜ始まったのか。それを論じるのは本稿の主旨ではないから措くとして、元海軍大尉で戦後は航空自衛隊空将補となり、古今の戦史を研究していた湯野川守正さん(1921-2019)は、

「大正11(1922)年に締結されたワシントン軍縮条約で、主力艦の保有トン数が、米・英に対し日本は6割、すなわち『5:5:3』に制限された。これが国辱的だとして国内で大論争になり、海軍部内でも『条約派』と『艦隊派』の派閥争いを生むことになってしまった。しかし、冷静に国力の差を考えると、むしろ米・英が日本の6分の10で我慢したとも言える。『if』を言っても始まらないし、これは戯言ですが、あのときもし、『5:5:1.5』で妥結していたら、ああいう形での戦争は起こらなかったんじゃないか

と語っている。

湯野川守正さん(右写真撮影/神立尚紀)
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