「西郷隆盛は生きている…」伝説から見えてくる「日本人の精神」

神になった日本人(1)
小松 和彦 プロフィール

西郷らは敵陣に向かう下り坂を行軍しはじめる。弾丸が降り注ぐなか、ある者は被弾し、ある者は早くも自刃する。そろそろこのあたりでと周りの者が言うのを、「まだまだ」と制して西郷は歩き続けるが、谷を抜け出たあたりで腹と股に被弾した。

西郷は傍らの別府晋介に、「晋ドン、晋ドン、もうここでよかろう」と声をかけると、端座(たんざ)して遥か東方を拝した。別府は「ごめんなったもんし」と言い、一刀のもとに西郷の首を切り落とした。

西郷隆盛、享年51。従っていた桐野利秋、村田新八らもすべて戦死、あるいは自刃して果てた。7ヵ月前に鹿児島を出立したとき1万5千人を超えていた西郷軍は、城山に籠もったときには400人ほどになっていたという。

西郷にとって、この挙兵が本意のものであったはずはない。各地で起こっていた士族の反乱や農民騒動は、言ってみれば、かれが政府の指導者であったときに断行した政策が招いたものであった。おそらく西郷は、それらの反乱や騒動を否定的に見ていたのではなかろうか。にもかかわらず、不幸にも否定すべき側に担がれて、敗れ去ったのである。

西南戦争以降、板垣退助らの自由民権運動が高揚したことからもわかるように、士族たちはその不満を武力行使ではなく、言論活動に向けるようになった。西郷の私学校設立の趣旨もきっとそこにあったと思われるが、そうした思いを浸透させる以前に、不本意ながら反乱に巻き込まれたのではないか。

 

西郷は無論、西郷軍の総帥だったが、しかし西南戦争中、かれは戦闘の指揮をまったくとらなかった。また言動もほとんど伝えられていない。おそらく、死の覚悟を秘めつつ黙々と行軍に従ったのであろう。そして、何も言い残すことなく自刃した。

つまり、西郷は自らの命を黙って差し出すことで、武力の時代の終焉を士族たちに認識させたのである。そして、断固たる行動で近代の幕を開けたこの革命家は、前近代の人間として、それも最後の武士として死んでいったのであった。

(つづく)

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