「西郷隆盛は生きている…」伝説から見えてくる「日本人の精神」

神になった日本人(1)
小松 和彦 プロフィール

断固たる指導者

改めて言うまでもないが、西郷隆盛は、薩長を中心に倒幕勢力を結集して大政奉還・王政復古のクーデターを成功させ、天皇制国家の形成に大きな功績を残した幕末・明治の政治家である。

大久保利通、木戸孝允とともに「維新の三傑」と称されるが、功績は第一とされ、明治2年(1869)に陪臣としては最高の賞典禄永世2千石を賜り、正三位に叙せられた。ちなみに大久保・木戸はともに1800石、従三位であった。

その主な功績には、戊辰戦争時の東征大総督府参謀としての戦争指導、勝海舟との会談による江戸城無血開城があり、明治新政府の中枢に参画して以降は、天皇に直属する御親兵(ごしんぺい、のちの近衛兵)の設置、身分制の解消、廃藩置県や地租改正の断行、学制や徴兵制の導入、鉄道開業の実現、等々がある。

そんな明治初期の変革や開化に、政府の指導者の一人として大きな役割を果たした西郷ではあるが、しかしわたしは、西郷は基本的には「武闘派」の人間だったと考えている。もちろん、喧嘩早いとか無闇に暴力をふるいたがるという意味ではない。そういう意味でなら、西郷はむしろ武闘派ではなかった。

そうではなく、国事にあたっては正攻法での交渉もするし、場合によっては策略をめぐらすこともあるが、しかしそれらを超えた最後のぎりぎりのところまできたら、その解決は断固たる武力の行使に委ねるのみ、という覚悟をもっていたという意味での武闘派(あるいは武力主義者)である。

 

その資質が遺憾なく発揮されたのは幕末の数年間で、この間、西郷は、政略を駆使しつつ倒幕勢力をまとめあげ、最後の瞬間、ためらう者も出るなかで、断固として王政復古・武力倒幕へと踏み出した。その不退転の決意、そして統率力とエネルギーは、まったく並ぶ者がなかった。確かに、この時期の西郷は「文句なしに最大最高の変革の指導者」(井上清『西郷隆盛』)だったのである。

西郷隆盛(床次正精画「西郷肖像」、鹿児島市立美術館蔵)
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