「西郷隆盛は生きている…」伝説から見えてくる「日本人の精神」

神になった日本人(1)
小松 和彦 プロフィール

次いで、西郷の死が伝えられたのちに誰が言い出したものか、「西郷は生きている」という噂が流れた。すなわち、実は西郷は城山では死んでおらず、外国人の手引きで中国大陸に渡ったらしいとか、インドの某島に身を隠していたが、このたび呼び戻されて政府の要職に復帰するらしい、といったものである。

これらの噂は、源義経は衣川(ころもがわ、岩手県平泉)では死なず、北海道・樺太を経て大陸に渡り、モンゴルでジンギスカン(チンギス・ハーン)になったという、いわゆる「義経伝説」を連想させる。

巷間でひそかに囁かれ、しかし根強く語り継がれていた西郷生存説が、新聞記事などを通じて華々しく社会に再登場したのは、西南戦争から14年後の明治24年(1891)、ロシア皇太子ニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)の来日を控えた時期のことである。例えば、その一つはこんなふうに具体的に語られていた。

西郷以下の将士が城山の岩崎谷で戦死したことは、日頃から疑わしいと思われていたが、最近耳にしたところでは、西郷をはじめとして桐野利秋、村田新八らの諸将は、いまも生存しているとのことである。彼らは城山陥落の前々夜、重囲を脱して串木野の嶋平浦から和船で甑島(こしきじま)に渡り、そこからロシアの軍艦に乗り込んでウラジオストック港に上陸した。そしてシベリアの兵営に身を隠し、ロシア兵の訓練をしていた。
ところが、さる明治17、8年(1884、85)の頃、黒田清隆(元薩摩藩士。西南戦争では陸軍中将として政府軍の参軍をつとめたが、同郷の先輩西郷には恩義を感じていた。のち第二代総理大臣)が欧州巡回の際に、このことを耳にして、ひそかに西郷を兵営に訪ねて面会し、大いに日本の将来を語り合い、やがて帰朝することを約した。そこで西郷はこのことをロシア政府に申し出たところ、同国政府は諸将の去ることは惜しいが、諸将が故国を思う気持ちを察し、それならば軍艦で護送しようということになった。皇太子の世界漫遊にことよせて、数艘の軍艦で帰国するという。(河原宏『西郷伝説』)
 

もちろん、西郷が生きているわけはなく、ロシア皇太子とともに日本の地を踏むこともなかった。噂を享受した人びとも、大真面目にそれを信じ込んだわけではなかろう。

むしろ、これら「西郷伝説」で大事なことは、人びとの心のなかに噂を受け入れる素地があったこと、言い換えれば、人びとが西郷隆盛という人間の「記憶」をもち続けたということであろう。維新の元勲でありながら賊徒として死ななければならなかった「悲劇の英雄」としての、あるいは、清廉で無欲な「人格者」としての、西郷の記憶である。

そして、「西郷伝説」が世間ではさほど語られなくなっても、その記憶をずっともち続けようとする一定の人びとが存在すれば、やがて西郷という偉大な人間を末長く顕彰し、その記憶を定着させるためにふさわしい形式をもった施設をつくろう、という動きが出てくるのは自然な成り行きであろう。西郷隆盛を主祭神として祀る「南洲神社」(鹿児島市上竜尾町)は、まさにそのようにして創建された神社である。

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