電子書籍やネット予約の登場で、なくなった「楽しみ」と変わらない「知恵」

 私が最初に海外に行ったのは、十七歳の時。アメリカに行ったのだが、実にイニシエーションとしては完璧というか、最悪であった。

 この旅については前に書いたことがあるから詳説しないが、まあ、「愚かな若者」を絵に描いたようなものであると云えば話は通じるだろうか。

 文通---もう、ほぼ死語ですな---していた、サンフランシスコのパンク・バンドのリーダー---一応、名の通っていたバンドであるが、あまりにも愚かなバンド名なのでこの歳になると書くのが恥かしい---が、実はレコード・コレクター、というよりはオタクで、彼の指示にしたがい、しょうもない日本の自主制作レコードを買い集めては送っていたのだが(代金はちゃんとくれた。よかったのだが、パンクスとしてのイメージは微妙になった)、 そのうちサンフランシスコに来るか、という話が出て高校生がそれを真に受けて行ったために、いろいろと国内ではできないというか、したくない経験を積むことになったのである。

 とはいえ、その経験は貴重なものであって---今だからそう云えるのだが---卒業できるかどうか怪しい高校生という身の上でビザを発行してくれた---その頃は渡米にはビザが必要だった---のだから、アメリカという国家の寛大さ、いい加減さに感謝の拍手を送りたい。送られても迷惑なだけだろうが。

旅先での最高の贅沢とは何か

入国審査 アメリカでは平成十六年から入国審査が厳しくなり、指紋採取や顔写真撮影も行われる

 今日、渡米にビザは必要ないものの、入国となると、かなり長時間の行列が要請される。

 ある種の「交戦国」なんだから仕方ないとは思うものの、下手したら数時間の行列を余儀なくされる。

 旧知の、世界的建築家は、「もう、あんな面倒くさい国には行かない、俺に会いたい奴は、日本かヨーロッパまで来い」と激怒しているが(先生はイスラム圏にもクライアントを沢山もっていたので、彼のパスポートには、アラビア文字のスタンプが沢山押してあり、それが入国審査官の関心を過剰にかきたてるのであった)、それもまあ、無理はない。

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 そうは云っても、海外旅行がとてつもなく円滑になった事、旅先での過ごし方にしてもかつてでは考えられないくらい、あらゆる手配が円滑になった事は事実だろう。

 宿の手配は、以前に書いたTablet Hotelsなどのサイトで、気の利いた、日本の旅行代理店などが手の回らないホテルを予約できるようになったし、航空便の手配にしても、ほとんどインターネットで間に合ってしまう。

 私のような、飲み食いが生き甲斐のような人間にとって、一番ありがたいのはレストランの予約サイトだろう。

 ヨーロッパの家族経営のレストランなどは、けしからん事にメールで予約を入れても、何の音沙汰もない場合が少なくない(まあ、自分も、未知の編集者からのメールを、取り紛れて放っておいたりするから仕方ない、ごめんなさい)。電話をすれば、たいがい片付くのだが、なかなか上手くいかないこともある。

 ここに行くぞ、という気合いが入っている場合は、現地についてから、ホテルのコンシェルジュにチップを弾んで予約の電話を入れて貰うこともある。

 前にも書いたことがあるけれど、ヨーロッパの都市で有力なホテル―たとえば、パリにおけるクリヨンとか―のコンシェルジュは、ほとんど魔術師のような力を備えていて、どうやっても取れないはずのレストランの席やオペラのチケットを手配してくれる。高い宿泊代を払うだけの価値は―使い様ではあるけれど―確実にあるのだ。

 今、重宝しているのは、アメリカ発のサイトで、OpenTableというところ。アメリカを中心として、ヨーロッパの主要都市のレストランも予約することが出来る。ここの凄いところは、当日、ギリギリに出たキャンセルの席を押さえることができることだ。

 何ヵ月も前から予約しておかないと入れないようなレストランのテーブルを、ギリギリで獲得するという体験は、稀少なカメラやレンズを、オークションで競り落とすのに似た、快感を覚えさせられる。

 私が、このサイトを知ったのは、メンフィスに滞在していた時で、ろくな美食情報がないなか、あっちこっちのサイトを覗いているうちに見つけたのだが、実に素晴らしいラインナップで、いわゆるガイド本には出て来ない、先鋭的な店と出会う事が出来た。

 いずれにしろ、こうしたサイトの発達が、旅行、ホテル予約、美食の経験をスムーズにしていると同時に、変容させていく事も、確実な事だろう。

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 とはいえ、海外旅行における伝統的な「知恵」のようなものの価値は、けして無効になったわけではない。

 カードやパスポートのコピーを取っておくこと。コンシェルジュ等、現場を切り回しているホテルスタッフには、チップを弾んでおくこと。外出時には、なるべく貴重品をもたないこと。ちゃんとした店には、ちゃんとした恰好で行くこと。

 一つの街に、三日以上、滞在する時には、馴染む呑み屋を見つけた方がいい。ちょっと気張った酒を、二日続けて頼めば、きちんと認識してくれる。

 この場合、大事なのは、キレる、神経の行き届いたギャルソンやバーテンに目星をつけること。ぼんやりした人間には、何をしてもはじまらないというのは、人類共通の定理である。

 旅先の、その土地で、読むための本、聞くための音楽を選ぶのは、ある意味で、最高の贅沢といえるだろう。トリノで、パヴェーゼを読み、カタロニアでオーウェルを読む。上海で谷崎を、パリで藤村をというような読書は、人間にとって至上の贅沢だ、と云ってもよいかもしれない。

 音楽は、サイトでいくらでも購入することが出来るけれど、電子書籍の登場は、旅先での読書経験をも変えてしまうのだろうか。

 海外では、基本的に和書の購入は―短期の旅行者には―、ほぼ不可能であったし、パリのように日本の書籍を扱っている書店がある都市もあるけれど、国内の三倍ぐらいの値段がついている事が少なくない。価格はともかく、品揃えは酷く偏っている---無理もないことだが---ので、読みたい本があることは少ない。

 電子書籍が発達すると、旅先で読むべき本をすぐに入手できる、というのは素晴らしい事である。とはいえ、あらかじめ旅行用の本を選ぶ楽しみがなくなってしまうのも、味気ない。

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