5月25日 最古のハレー彗星出現記録(紀元前240年)

科学 今日はこんな日

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紀元前240年のこの日、人類の歴史にハレー彗星の出現記録が初めて残されました。

 

75.3年の公転周期にあわせて地球に接近するハレー彗星は、古くから多くの人々に目撃されており、その出現記録とされるものも多く記されてきました。

そして天体力学の計算により、過去にどのようなコースで地球に接近し、いつ観測されたのかも推定できるようになっています。

大英博物館所蔵のバビロニア粘土板。紀元前164年のハレー彗星出現記録とされる Photo by Public Domain

そのため、司馬遷(生没年不詳)の『史記』「周本紀」貞定王2年条およびプリニウス(23-79)の『博物誌』第78オリュンピアード2年(紀元前467年)にも彗星の記述はあるのですが、計算された年(紀元前466年)と合わないため、ハレー彗星の記録とは確定できなかったのです。

ところが、『史記』「秦始皇本紀」始皇帝7年条に「彗星先ず東方に出で、北方に見ゆ。五月西方に見ゆ」とある記述は別でした。

まず、秦の始皇帝は紀元前247年に即位していますから、それから7年ということなので紀元前240年のことだとわかります。この年はちょうどハレー彗星が地球に最接近した年であり、計算が合います。

さらに、この時のハレー彗星は、いったん地球から観測されたあと、太陽に接近して見えなくなり、近日点(太陽と最も距離が近くなる点)を通過した後、また出現したと考えられています。「秦始皇本紀」の記述はこのコースも正確に再現していました。

そのため、これがハレー彗星出現の確実で最も古い記録とされているのです。

当時、中国は太陰太陽暦を採用していたと考えられますが、正確なところはわかっていません。前漢の武帝が紀元前104年より採用した「太初暦」が正式に残された最初の暦法です。

ですから、この日付は『史記』に載っていたものではなく、後世に計算によって導き出された近日点通過日、ということになります。

ちなみに中国の史書はこの後もハレー彗星の記録を残しており、『漢書』『後漢書』『晋書』などにも記載があります。凶兆として恐れられ、彗星を見た皇帝が税金を免除するよう詔を出したこともあったようです。

日本でも『日本書紀』に「壬申に彗星西北に出づ。長さ丈余」との出現記録が残されました。現在のグレゴリオ暦に換算すると、684年10月2日に近日点を通過したハレー彗星のことだと推定されます。

1066年のノルマン・コンクエストを描いた「バイユーのタペストリー」より。ノルマンディー公ギヨーム2世(のちウィリアム1世)に敗れることとなる、イングランド王ハロルド2世の家臣たちがハレー彗星に驚き恐れる様子が描かれている Photo by Getty Images