6月19日 丹那トンネルが貫通(1933年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1933年(昭和8年)の今日、東海道本線の熱海〜函南にある丹那トンネルが貫通しました。1918年(大正7年)の工事開始以来、大変な難工事の連続の末に、全長7804mが貫通しました。貫通当時は、清水トンネルに次ぐ日本で2番目の長さでした。

関連の日:12月29日 上越線の清水トンネル開通(1929年)

1872年(明治5年)に新橋〜横浜で開通した鉄道は順次延伸し、わずか17年ほどで新橋〜神戸間600km余りが、東海道本線として開通しました。

区間中、神奈川・静岡県境は、国府津より酒匂川沿いに北上し、箱根外輪山の外側を通って沼津に至る、現在の御殿場線のルートでした。山岳区間のため補機(補助の機関車)を必要とするなど、飛躍的に増大する輸送量を圧迫していたため、熱海経由の新線経由とすることになりました。

【写真】熱海側坑口
【写真】三島側坑口
  熱海側坑口(上)と三島側坑口(現在の函南駅東方) photo by National Diet Library

実地調査や測量を経て、1918年に着工されました。工事は、掘削したところにコンクリートを吹きつけて急速に固着させ、固着したコンクリートと岩盤をボルトで補強し、岩盤の地圧を利用して坑内を保持するという、最新の山岳トンネル工法である「オーストリア式掘削法」が導入されました。

【写真】掘削図
  当時の鉄道省熱海建設事務所による丹那トンネル掘削図 photo by National Diet Library

しかし、掘削機や坑道内の証明用電気の供給が思うように受けられまかったり、たびたび湧水が噴出したりして、工事は難航しました。湧水対策については、水抜き坑を多数堀り、地下水を抜きました。流出した水の総量は、芦ノ湖の貯水量3倍ほどにも達したと言われます。

また、岩盤崩落事故もたびたび起こり、工事を通じて67名の犠牲者がでています。

そして、1930年にはこの地域を震源とする北伊豆地震が発生しました。

この地域は、北伊豆断層帯とよばれる活断層帯でした。範囲は、神奈川県の箱根町南部から、湯河原町、静岡県三島市、熱海市、函南町、韮山町及び大仁町(現・伊豆の国市)、伊豆市にわたります。北北東−南南西方向に32kmに及び、本断層帯は左横ずれを主体とする断層から構成されています。

【写真】丹那断層のズレ
  静岡県函南町にある丹那断層公園では、断層のズレが露出した部分が保存され、見学することができる。函南断層は国の天然記念物に指定されている photo by bluebacks

地震が起きたのは、地震を起こした断層を構成する岩盤を掘削していた、ちょうどその時だったそうです。トンネルには、地震で起こった断層とほぼ同じ2mほどのズレが生じ、現在もS字カーブとしてこの痕跡が残っています。

トンネルは、翌1934年(昭和9年)の12月1日に開通、神戸行き下り急行列車が多数の増結車を従えて、1番列車として通過しました。煤煙問題を回避するため、当初より電化されていました。

【写真】開通に合わせるかのように登場したEF53形電気機関車
  丹那トンネル開通に合わせるかのように登場した、初の本格的国産電気機関車EF53形 photo by National Diet Library

鉄道省(1920年に内閣鉄道院から独立)は、一連の事故や工期の遅れなどから、計画当初の地質調査の甘さを痛感、日本の地質工学の祖とよばれる渡邉 貫(わたなべ・とおる、1898-1974)ら若き地質学者を迎え入れ、本格的な地質研究に着手します。

また、工事は湧水に悩まされましたが、トンネル上にあたる函南村では逆に湧水が枯れ、稲作が続けられなくなってしまいました。そこで、村をあげて酪農への転換と改良に取り組みました。現在は、丹那東部農協の「丹那牛乳」で有名な酪農地帯となっています。

  残された函南町の湧水。かつては山葵も特産だったという photo by public domain