性暴力の被害者が、驚くほど「自分を責めてしまう」理由

自傷行為に走ってしまう人もいる…
小川 たまか プロフィール

対して、判決後に発表された被害者の文章には、「『逃げようと思えば逃げられたんじゃないか。もっと早くに助けを求められたらこんな思いを長い間しなくて良かったんじゃないか…』。そう周りに言われもしたし、そのように思われていたのはわかっています。」と書かれていた。

被害者は自責し、加害者は他責する。他の犯罪行為や暴力でもあることだろうが、性暴力の場合は特に顕著だと感じる。また、こういった傾向があることについて説明すると、「確かにそうだろう」と理解を示す人と、「なぜそうなるのか」と驚く人がいる。どちらの反応ももっともだと思う。

今回はどちらかというと、後者の人に対して、「被害者の自責、加害者の他責」の実態を伝えたい。前編では「被害者の自責」、後編では「加害者の他責」を専門家の声を交えて紹介する。

 

被害者を縛る強烈な自罰感情

まず、被害者の自責である。どちらかというと、加害者の他責よりも被害者の自責の方を、より知ってもらいたいと思っている。

もちろん、「被害者」とひとくくりに言っても、その感情はさまざまであり、複雑だ。被害に遭ったことを、すぐに人に話せる人もいれば、そうでない人もいる。周囲から見て大きなショックを受けているように見える人もいれば、何も変わらず過ごしているように見える人もいる。加害者を訴えたいと思う人もいれば、思わない人もいる。

だから自責する人もいればそうでない人もいる、ということは前提である。自責するのが正しい被害者だ、などと言いたいのではない。

ただ、被害者たちから下記のような「自責」を聞くことは珍しくない。どれも、性被害に遭った人の言葉だ。

・(路上での被害)終電で帰ってきた自分が悪い。「だからそんな目に遭うんだ」と親から怒られると思い、誰にも言わなかった。
・(幼少期の家庭内の性虐待)自分も共犯者で、人に話したら自分も警察に捕まると思った。
・(電車内の痴漢被害)狙われるような弱さのある自分が悪いと思った。
・(知り合いからのレイプ)自分の運命が悪いのだと思い、死のうとした。

夜に歩いていた、格好に問題があったというような、直接的な「自責」から、自分の人間性や運命への否定まで。「自分の悪かったところを探している」ようにも感じる。加害者が「他人が悪かったところを探す」のと対照的だ。