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「生きる意味」を無くした若者たちは、なぜ学生運動に没頭したのか

ポストモダン思想の源流にあるもの

戦後日本で学生運動が活発化したワケ

新左翼の遺産 ニューレフトからポストモダンへ』は、1980年代から20世紀末まで大流行し、現在もその影響を有識者に強く残しているポストモダン思想の源流に新左翼(ニューレフト)運動があることを解き明かした優れた作品だ。

戦後の日本では'60年の安保闘争、さらに'68~'69年をピークとする全共闘運動で大学は学生運動の渦に巻き込まれた。このとき中心になったのが、日本共産党の革命戦略に飽き足らない新左翼の活動家たちだった。

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こうした活動家が政治活動にエネルギーのほとんどを費やすことができたのは、日本の大学が特殊な環境に置かれていたからだ。

日本の大学は一旦入学すれば単位の取得と卒業とが容易であることも、学生運動の活発化に貢献した。例えばフランスでは、一九六〇年代において学生の六六%が卒業できず、脱落した。成績が悪ければ、奨学金も停止された(この点は日本でも同様であったが)。

そもそも授業にあまり出席しなくても、一夜漬けで単位を取れる日本の大学のシステムがあってはじめて、活動家によるほとんどフルタイムの政治活動が可能であったことも見逃せない。長期のストライキや授業放棄戦術も、この条件なしには考えられない。

もっとも試験期間(や休暇中)に一般学生を動員することは極めて困難で、安保闘争の盛り上がりは、闘争が五~六月に展開されたことと無縁ではない〉

評者は、'87年8月から'95年3月までモスクワの日本大使館に勤務していた。途中、'91年12月にソ連の崩壊があった。この過程で中心になったのは知識人と民族運動活動家であったが、大学生の運動はほとんどなかった。

それはソ連の大学のカリキュラムが政治活動と両立できないほど詰まっていたことと関係すると思う。筆者が研修したモスクワ国立大学は5年制だったが、日本の修士論文に相当する論文を3本書き、審査に合格しないと卒業資格が得られなかった。

また、学業が厳しくアルバイトをする余裕はまったくなかった。もっともほぼ全員が奨学金を得て、寮に入れた。寮費は、喫茶店でのコーヒー10杯分くらいだったので、同世代の労働者よりも学生の方が生活水準が高かった。

モスクワ国立大学でも、学生運動に熱中する学生がいたが、授業で与えられる課題を消化できなくなり、退学していった。