ニック・ランド『暗黒の啓蒙書』への「入口」

民主制からの「出口」を目指して
木澤 佐登志 プロフィール

このCCRUに当時関わっていたメンバーとしては、のちに批評家として活動し、著書『資本主義リアリズム』などで知られるも2017年に自裁したマーク・フィッシャー(Mark Fisher)、思弁的実在論のプレイヤーとしても知られることになるイアン・ハミルトン・グラント(Iain Hamilton Grant)とレイ・ブラシエ(Ray Brassier)、出版社アーバノミック(Urbanomic)の編集ディレクターを務め、加速主義や思弁的転回にまつわる動向の紹介を積極的に行っていくこととなるロビン・マッケイ(Robin Mackay)、Kode9名義で活動し、ゼロ年代のダブステップ・シーンを牽引するレコード・レーベルHyperdubの創設者としても多大な影響力を誇ることとなるスティーヴ・グッドマン(Steve Goodman)、アフロフューチャリズムの理論家として知られるコドヴォ・エシュン(Kodwo Eshun)、セオリーフィクションなる散文ジャンルを開拓し、哲学とフィクションとを隔てる境界を越境してみせた哲学者兼作家のレザ・ネガレスタニ(Reza Negarestani)、デジタルメディアと身体の関わりについての理論を展開するルシアナ・パリシ(Luciana Parisi)、といった錚々たるメンバーを挙げることができる。

だが、CCRUの黄金時代はそう長くは続かなかった。

設立から2年後の1997年には共同設立者のサディ・プラントがウォーリック大学を退職し、以降はランドが実質一人でCCRUを切り盛りするようになる。

大学当局からもその存在を煙たがられていたCCRUは、ウォーリック市内のレミントン・スパにあるザ・ボディショップの上階に部屋を借り、そこに活動拠点を移していた。その外界から隔絶された実験室(ラボ)では、アレイスター・クロウリーの魔術、数秘学、ヴードゥー教、ラヴクラフトといった秘教的な思索が行われた。

『ガーディアン』紙のなかで、ロビン・マッケイは当時を回想し、「CCRUは疑似カルトと化したのです」と述べた上で、次のように続ける、「私はCCRUが完全な狂気に陥る前に去りました」。

 

そして上海へ……

一方、ランドも度重なる不眠と身体的疲労によって自らを消尽させていくかのようだった。当時の彼が中枢興奮刺激剤であるアンフェタミンの中毒症状に陥っていたことを示唆する記述は、後年になってから当時を自嘲的に振り返ったテクスト「A Dirty Joke」のなかにも見られる。

マッケイは、当時のランドの様子を回想して、「端的に言って彼は発狂したのです」と総括している。

そして1998年、ランドもウォーリック大学を辞職し、彼のアカデミシャンとしてのキャリアはここで完全に絶たれたことになる。

正確な時期は不明ながら、大学を退職したランドは、今度は一転して中国は上海に生活拠点を移す。

その地でランドは現地のジャーナルなどへの執筆を行う一方で、出版社Time Spiral Pressを立ち上げるなど出版活動に従事していた。同時にこの頃からブログも精力的に執筆しはじめる。