「プロパガンダ」の効果は、なぜ過大評価されるのか

「不安の時代」の情報リテラシー
津田 正太郎 プロフィール

1939年9月、ドイツによるポーランド侵攻を契機として第二次世界大戦が勃発する。その当初、イギリスでは多くの人びとが「プロパガンダを使えばドイツに勝てる」と考えていたという*4。それを端的に示すのが、戦争開始直後に当時のチェンバレン首相がラジオを通じてドイツ国民に送った以下のメッセージだ。

ドイツ国民のみなさん、この戦争で私たちはあなたがたと戦うのではありません。私たちはあなたがたを悪く思ってはいません。ドイツ国民だけではなく西洋文明全体、そしてあなたがたと私たちとが大切にしている全てのものを裏切ってきた、暴虐で嘘にまみれた体制と私たちは戦うのです*5

これは、ナチス政権と一般の「良きドイツ人」とを区別し、前者のみと戦うと明示することで両者の離反を図ろうとするメッセージだ。敵の内部分裂を誘発するというのはプロパガンダの基本的なテクニックである。

しかし、戦争序盤にドイツ国内で深刻な分裂が起きることはなく、それどころか翌年5月には西欧諸国に対するドイツ軍の大攻勢が始まり、イギリス軍はあれよあれよという間にヨーロッパ大陸から追い出されてしまう。

それと時を同じくして首相に就任したチャーチルは、「良きドイツ人」に向けたプロパガンダでは戦争に勝てないと考えており、イギリス政府はあくまで軍事的勝利によるナチスドイツ打倒を目指すことになる(ただしチャーチルは、意図的に誤情報を流すことで敵軍の混乱を生じさせるような類のプロパガンダには強い関心を抱いていた)。

ウィンストン・チャーチル〔PHOTO〕Gettyimages
 

それではなぜ、戦争開始当初にプロパガンダ万能論を信奉する人がイギリスに数多く存在したのだろうか? 要因の一つとして考えられるのは、当時においてナチスドイツの政治的、経済的基盤の脆弱性が過大に評価されていたということである*6。海上封鎖とプロパガンダによって揺さぶりをかければドイツ国内の「良きドイツ人」が蜂起し、話の通じる後継政府が誕生すると期待されていたのだ。ナチスを逃れてイギリスに亡命していたドイツ人がそうした期待を煽ったとの指摘も行われている*7

そして、もう一つの要因として考えられるのが、第一次世界大戦においてイギリスはプロパガンダによってドイツに勝利したという「記憶」の存在である。イギリスのプロパガンダによって1918年11月にドイツ革命が勃発した結果、ドイツ軍は背後から刺されるかたちとなり、敗北に至ったという「記憶」が多くの人びとによって共有されていたのだ。

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