画/田中ひろみ
# 科学 # 大槻義彦 # 般若心経

色即是空、因縁果、ライプニッツ…大槻教授が釈迦に学んだこと

釈迦は、偉大な哲学者で科学者②
物理学者の大槻義彦教授は幼少の頃から、「なぜ地球は太陽のまわりを何十億年もまわり続けているのか」という疑問を抱いてきた。この答えをついに、大槻教授は『般若心経』に見出した。今回は、実際に般若心経を読みながら、その本質である「色即是空」という考え方に迫ってみよう。

構成・イラスト/田中ひろみ

第1回:「科学の本質は『般若心経』にあり!大槻義彦教授は気づいてしまった…」

『般若心経』を実際に読む

ではここから、いかに『般若心経』が素晴らしいもので、それが宇宙や物質をどのように論じているかを考えていこう。

『般若心経』が触れている宇宙や物質の究極的な深い意味を探求する前に、何はともあれ、『般若心経』はどういう教えなのかをよく理解しなくてはいけない。

私が勝手に、『般若心経』を物理学に都合のいいように解釈していると思われるのは困る。

そこで、まずは有名な宗教学者の島田裕巳先生に了解を得て、先生の御著書『ブレない心をつくる 「般若心経」の悟り』(詩想社新書)から、『般若心経』の現代文訳を記してみる。

 

キーワードは「色即是空」

【仏説摩訶般若波羅蜜多心経】島田裕巳先生訳

*観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
 
訳:求道者である観音菩薩は、深遠な知恵の完成をめざして、その実践をしていたとき、すべての存在を構成している五つの要素がみな実体のないものであることを認識し、いっさいの苦悩やわざわいを超越することができた。
*舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是

訳:我が弟子であるシャーリープトラよ、物質的現象は実体のないものにことならず、実体のないものは物質的現象にことならない。物質的現象はまさに実体のないものであり、実体のないものはまさに物質的現象である。そして、物質的現象とともに、すべての存在を構成している他の四つの要素である人間の感覚も、イメージも、こころの働きも、さらに知識も、物質的現象の場合とまったく同じなのである。
画・田中ひろみ
*舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道

訳:シャーリープトラよ、いっさいの存在するものは実体のないことを特徴としており、生じることもなく、滅することもなく、汚れることもなく、清まることもなく、増えることもなく、減ることもない。このために、実体のない状態においては、物質的現象もなく、感覚もなく、イメージもなく、こころの働きもなく、知識もない。また、目や耳や鼻や舌やからだや思いといったものはなく、それが対象とする形も音も香りも味も、触ったり、思ったりすることのできる対象もない。さらに、目で見える世界も、意識の世界もない。
そして、迷いもなく、迷いが尽きることもない。また老いることも死ぬこともなく、老いることや死ぬことが尽きることもない。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを滅するための方法もない。
*無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罜礙 無罜礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提

訳:知恵もなく、体得すべきものもない。体得すべきものがないので、求道者は、知恵の完成によって、こころに障害がなくなる。こころに障害がないから、恐れもなく、正しく見ることを妨げる迷いを離れて、永遠の平和を極めるのだ。現在、過去、未来にわたる三世の仏たちは、知恵を完成することによって、このうえない完全な悟りを体得している。
*故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

訳:それゆえに、以下のことを理解すべきである。知恵の完成は真言(マントラ)であり、偉大な悟りの真言であり、このうえない素晴らしい真言であり、他に比べることのできない真言である。いっさいの苦しみを取り除く、真実なるものであり、虚しいものではない。知恵の完成は、真言を説く。その真言とは「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」である。
これこそが、完璧な悟りに至るための真髄である。
 

矛盾こそ「空」の本質

島田裕巳先生の訳された『般若心経』の内容は、まさに私が考えた内容とほぼ同じである。

『般若心経』に出てくる「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉は、仏教の根本教理といわれる。色(しき)=物体あるいは物質のことで、カラーのことではない。「空(くう)」は、全く何もない「無」ではないのだ。

「空」というのは、実際には厳然としてあるのだが、つまりあることはあるのだが、はっきりととらえることができない」ということである。