そんな中、今回の世界的な感染拡大が起こった。

新型コロナ以前は、例えばオーストリアの昨年の総選挙で、それまで連立与党の一角であった極右政党に代わり、環境問題を押し出す緑の党が躍進し、女性閣僚が半数以上を占める新内閣が誕生するなど、多様性の受容が目に見える形で確実に「前進」していた。

しかし新型コロナ以降、世界のさまざまな地域において、「前進」とは逆の「後退」のような動きが目立つようになってしまった。上記の女性研究者の論文投稿数の減少もその現れだと考えられるし、以前の記事(新型肺炎で、欧州にいる日本人が「感染より恐れていること」)で指摘したように、感染拡大に伴い、アジア人差別は欧米を中心に世界中で確実に強まっている。

差別意識は有事にこそ顔を出す

「差別はよくない」。こういった倫理観は現代社会においては世界の多くの地域で認知されつつある。でも、差別のない社会を目指すことの本当の難しさは、倫理観をただ認知するという点ではなく、表向きの認知の裏に眠る差別意識をいかになくしていくかという点にある。

うまくいっている時は笑顔でも、アジア人が一度でもミスをすれば必要以上に責める。女性を積極的に登用すると言いながら、妊娠した女性や産後復帰した女性には重要な仕事を任せない。平時に差別的な言動を抑えることは容易でも、眠らせているだけの差別意識は何かきっかけが与えられると、すぐに顔を出してしまうのだ。

フランスの街中の壁には、「新型コロナウイルス:病気になった人よりさらに多くの人を差別主義者にした」というメッセージが〔PHOTO〕Getty Images

感染拡大に伴って今世界で起こっているのは、この反差別の仮面が剥がれる現象である。

普段は、家事に育児に取り組むことができていても、外出制限で子供が家にいていざ自分の仕事に影響が及ぶとなると、家事や育児は妻がすべきという気持ちを抑えられなくなってしまう。普段は、アジア人と公平に接していても、いざ感染が身に迫ると、排除したい気持ちが抑えられなくなってしまう。

そしてこのような有事に被差別者が背負う負担は、冒頭で述べた女性研究者親子の事例のように、職を失い、住む場所を追われるといった人生を覆すレベルである場合が少なくない。