コロナ以後の世界に向けて「役に立たない歴史」を封鎖しよう

コロナで滅びゆく歴史(2)
與那覇 潤 プロフィール

気になるのは、こうしたことに無自覚な――というかはじめから「歴史感の弱い」――人たちが(なぜか歴史学者をしていたりするのだが)、歴史の意義を説くと称しつつ、実際にはその無用性を喧伝してきたことだ。それは今回の危機のさなかで、より顕著になっていった。

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たとえば先日、総合誌で高名な歴史学者が、幕末のコレラや大正期のスペイン風邪を引き合いに、滔々と彼なりの「教訓」を語るのを目にした。庶民の生活も、医学や衛生環境の水準も今日よりはるかに貧しい時期の事例と比較するのは、目下の危機を誇大視させて過剰なパニックを助長する怖れが強いが、そうした意識はこの学者にはないようだった。

同じ時期、さる名門大学のホームページが「コロナアーカイブ」と銘打って、無人のキャンパス等の写真をわずか十数点掲載しているページが、公共の歴史学(パブリック・ヒストリー)の実践と称してメーリングリストに流れてきた。そんな写真など、学者が関与せずとも各種のSNS上には山のように毎日アーカイブされているのだが、こうした企画が「学問に社会性を取り戻す、優れた試み」として囃される世界も、世の中にはあるらしい。

ビフォアーコロナには「公文書管理に詳しい」なる触れ込みで、桜を見る会の騒動で「活躍」した歴史学者もいた。しかし安倍政権が政策の妥当性を判断する根拠となる実効再生産数(患者ひとりが何人にうつしたか)を伏せたまま、恣意的に自粛を強要しても抗議する姿はついぞ見ない。文書のような「モノ」が絡むときだけ発情するフェティシストには、国家による隠蔽のなにが問題かもわかっていないのだろう。

「なんだ。普段は『賢者は歴史に学ぶ』などと偉そうにしながら、この程度か」。そう思うのが普通の読者の感覚だし、それで正しい。上記した学者や大学人はいわば、自覚なしに歴史の墓掘り人をやっているようなものだが、どうせならなるべく地中深くに埋めて息の根を止めたほうが、かえってアフターコロナに歴史を再生させる種を蒔くのかもしれない。