コロナ以後の世界に向けて「役に立たない歴史」を封鎖しよう

コロナで滅びゆく歴史(2)
與那覇 潤 プロフィール

アフターコロナに歴史の場所はあるのか

こう書くときっと、私がその「稀な人」の一員であることを誇示していると思われるかもしれない。必ずしも誤読とは言えず、実際に私自身がそのことを長所だと捉えてきた時期もあった。そうでなければ、歴史学者のような割の悪い職業に就くことはありえない。

しかしいま、私はまったくそのように感じないし、だから自身が歴史の描き手であることを「自慢」する気持ちも湧きはしない。むしろそうした奇矯な特質のために、実に不自由をしてきたというのが実感である。

たとえるなら、世の中には「霊感が強い」人たちがいる。そうでない人の眼には自然現象にしか見えないものの背後にも、たとえば精霊の存在を感じたりするらしい。私はスピリチュアルな発想が苦手なので、そうした話を聞いても正直「盛ってるんじゃないの」くらいにしか、ずっと思ってこなかった。

 

しかし「歴史感が強い」のも、同様の特異体質だと考えてみたらどうだろう。眼前のコロナパニックにはあらゆる人が関心を持っているが、本稿の前編で述べたような「歴史の反復」としてそれが見えていた人は、極めて少数だ。そして「霊が見えるんです」と訴えても話半分に聞き流される人たちと同様に、そうした見方はもう、社会で相手にされていない。

もちろん、色んな体質の人がいてよいと思う。ただ問題は、いまという時代を「未曽有の危機との格闘」として体験する人と、「かつての失敗を繰り返している」ものとして感じてしまう人とでは、どちらが生きやすいかという点である。

あきらかに後者の方が、特にメンタルの面でハンディキャップを背負うのは間違いない。だから、あえて歴史感覚を持たない生き方を選ぶのも、現代世界への適応のあり方としては合理性を持っている(近刊『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』 斎藤環氏と共著、参照)。