コロナ以後の世界に向けて「役に立たない歴史」を封鎖しよう

コロナで滅びゆく歴史(2)
與那覇 潤 プロフィール

ところが3月28日、京都大の准教授が「『自分は今、感染している!(無症状で!)』『誰にも移しちゃいけない!』そう考えるとこから始まる。コペルニクス的転回。パラダイムシフト」云々なる連続ツイートを行い、爆発的なリツイート数を記録する(本稿の掲載時で約12万回)。これは自分を(症状がなくても無条件に)感染者だと思え、他人を見てもそう思えとする主張だから、換言すれば「むしろ先入見を持て」と唱えて支持を集めたことになる。

新型コロナウィルスによる死亡者数は(死亡率も)、欧米の方が日本よりはるかに高い。日本人どうしですら「自分は/あいつは感染者だ」と思いながら暮らすべきなら、より警戒すべき状況にある欧米人がアジア系をウィルス呼ばわりして、なにが悪いのだろう。当該の准教授や、彼を持てはやしたツイートの読者たちは、そうした想像力がないのだろうか。

距離を開けて電車を待つ人たち〔PHOTO〕Gettyimages
 

ひとことで言えば、「ひと月前の自分」と今の自分は異なり、その現在の自分と「ひと月後の自分」も違う。主張や感性が正反対のものになるくらい違うし、そしてなにより、そうしたあり方こそをまったく自然なものだと感じて、なんの違和感も覚えない人こそが、この国では標準的な人間らしい。そんな社会で、そもそも歴史がなり立つはずはなかったのだ。

もちろん歴史がなり立たないとは、「国民の多くが自らの過去をふり返って把握し、それを基に行動の指針を作ることができない」という趣旨である。逆にいうと、当人が意識しようがしまいが、過去に見られたのと同様に社会を動かしていく「流れ」自体は存在するし、そうした力動の作用を「歴史」と名付けて描き出す作業が、できる人も稀にはいる。

この国ではだいぶ前から、歴史を構想しそれに沿って生きる人は、そうした絶対的な少数者に限られていたのではなかろうか。