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コロナ以後の世界に向けて「役に立たない歴史」を封鎖しよう

コロナで滅びゆく歴史(2)

前月の記憶も忘れる社会

目下のコロナ騒動が前例のないものではなく、歴史家の眼で見ればかつて起きた国家的な失敗の反復に過ぎないことを、前編では論じた。しかし私はいま、そうした「歴史」というものの無力さを痛感している。

短くとも数十年、長くて一千年単位の「時間の幅」を意識せずしては、歴史は書けない。この前提にはおそらく、多くの人が同意してくれるだろう。しかし人びとの記憶はいまや、1年間はおろか、1か月も続かないのが現状だと思う。

思い出してほしい。安倍晋三首相が全国の小中高校に、春休みまでの臨時休校を要請したのは2月27日。このとき識者や世論の反応は「唐突すぎる。現場の混乱や共働き家庭の育児など、副作用が大きく乱暴だ」というものだった。

ところが1か月経った3月末から4月頭にかけては、逆に「なぜ政府は緊急事態宣言を出さないのか」との憤懣が急激に高まり、煽られるように4月7日に安倍氏が緊急事態を宣言。それも「接触を8割減らすことで、1か月で封じ込める」とする、休校要請の比ではない極端な方針を掲げた。しかし5月頭、首相が宣言の延長を決めたと報じられると、世論は「経済面での弊害が大きすぎる」として、再び悪影響を懸念する方向へゆり戻してゆく。

公園の遊具も使用禁止に〔PHOTO〕Gettyimages
 

まるで一貫性というものがない。実際にネットで何人かの識者の発言をたどると、緊急事態の宣言時には「接触8割減」の方針にもろ手を挙げて賛同し、実現不可能とする批判者を強い言辞で痛罵した人物が、1か月後の宣言延長時には、経済優先を掲げてしれっと反対論をぶっていたりする。まさか人との接触を平時の2割のみに制限して、持続可能な経済があると思っていたわけでもあるまいに。

あるいは問題の初期にあたる3月上旬ごろまで、在外邦人の書き手によって多くメディアに流れたのは、「アジア系と言うだけで『新型肺炎患者』との先入見にさらされ、日本人も差別の被害にあっている」という話だった。とくに欧州での偏見が強く、そうした決めつけはあってはならないものとして、日本の読者の強い共感を集めたはずだった。